カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)
たおやかに続く大雪の山々、広々となだらかな草原とちりばめた宝石ように点在する小さな湖沼。
緑の草原、白い雪渓、赤や黄色や紫の花々・・・と目にも鮮やかなコントラスト。
まさに天上の楽園。
アイヌの人達はこの天上の楽園を神々の遊び場、「カムイミンタラ」と呼んだ。
自然を敬い、神々を敬う、アイヌの人達の優しさが伝わってくる言葉だと思う。
そんな楽園で急がず慌てず、ただダラダラと過ごしてみたい。
構想1年、念願を叶えるべく、カミさんと訪れてみた。
通常であれば、半日から一日で通り過ぎてしまう広さ・距離を三日かけて楽しむ予定である。
五色ヶ原のお花畑とトムラウシ
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プロローグ
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準備を整え、歩き出す。
久しぶりの縦走装備がズッシリと背に掛かる。
今回はカミさんも12kgほどを担いでいる。ちなみに私は24kgほど、その内カメラと交換レンズ、三脚など写真器材が約4.5kgである。道は最近付け替えられたようで高巻くように一旦登ってから沢に下り、クチャンベツ川を丸木橋で徒渉する。(以前は2回の徒渉があったが1回になった)
丸木橋を渡る
エゾマツなどの針葉樹林の中を緩やかに登って行くと、標高1250m付近からしばらくは急坂となり一汗かかされる。
汗の臭いに寄ってくるのか、虫が気になる。
ハッカを塗り虫除けスプレーを吹きかける、カミさんは虫除けネットも使用して防衛だ。急坂を過ぎ笹原の中の道を少し行くと小さな池や湿原が現れ、ワタスゲが白い穂を風にゆらし、良い雰囲気になってきた。
沼の原へ
やがて突然に視界が開け、いくつもの池塘とアカエゾマツが点在する沼の原湿原が大雪の山々を背景に静かに佇ずんで、幻想的で神秘的な雰囲気だ。
先制パンチを喰らったような、度肝を抜かれる景観の現れ方である。
カミさんと二人、息を呑み、次いで思わず歓声を上げる。
突然現れた大景観に言葉もなく・・・
設置された木道を辿りながら池塘と山々の大景観、湿原を飾るタチギボウシ、ワタスゲ、モウセンゴケなどを楽しむ。
透明な湖面、映る青空と雲も新鮮な感じ、絵にも描けない美しさとはこういうことを言うのだろう。
池塘に映る空
途中で沼の原山、石狩岳方面の分岐を左に分ける。
素晴らしい景観に酔いしれ、なかなか足が進まない。
トムラウシの左手には、十勝連邦の山々の姿も見えている。
あまりの素晴らしさに笑顔が絶えない
木道をさらに進むと、大沼。
キャンプ指定地でもある。
晴れの良いお天気もせいもあるのだろう、池塘の水面に青空が実際より濃く映り美しい。
吸い込まれるような感じさえする、水がきれいなことも影響しているのだろうか。
青く映る水面
大沼を過ぎて道は一旦下る。
その下り切った所に「五色の水」が湧きだしている。
とても美味しく、冷たい水だ。
ちょっと早いが、美味しい水を味わいながら小腹を満たした。ここから五色ヶ原への登りが始まる。
一登りすれば傾斜は緩み、南には日高の山々が雲の上に姿を見せている。
実に堂々たる山並みだ。
遠くに連なる日高の山々
そして登ってきた方を振り返れば、歩いて来た沼の原とその向こうに石狩連山、ニペソツ、ウペペサンケ山が横たわっていて、まさに大雪の山々の真っ只中に居ることを実感させてくれる景観だ。
沼の原とニペソツ山
道はやがてクチャンベツ川の源流部となる沢沿いを歩くようになる。
所々、ドロドロベチャベチャの泥濘を歩く。
泥道を避けて歩きたいのは人情だけど、踏み跡がどんどん広がりそこがまたぬかるみとなって自然を壊していく。
どうせ汚れるのだから、道の真ん中を歩いて行こう。沢沿いには所々まだ小さな残雪が残っていて、その傍で汗を拭い英気を養う。
周囲にはだんだん可憐な花の姿が目立つようになってきた。C1700m付近では、まさに一面のお花畑。
チングルマ、アオノツガザクラ、エゾツガザクラ、エゾコザクラ、チシマノキンバイソウ、エゾヒメクワガタ、ウサギギクなどなど、よくもこんなに花があるものだと思うほどのお花畑である。
ホソバウルップソウやイワウメなどの花柄も大量にある。
お花畑が続く
凄い! 凄すぎる。
お花畑の向こうにはどっしりとトムラウシが端座して、繊細さと雄大さ、可憐さと荒々しさが同居しているまさに神々の遊ぶ庭、カムイミンタラの世界である。
「凄いね〜! 奇麗だね〜!」あまりの美しさに呆然と立ちすくんでしまう。
あまりの美しさに立ちすくんでしまう
大雪の西側から雲が沸き出し、流れてくる。
雲に覆われつつあるトムラウシの表情もまた良いものだ。
何もかも素晴らしい、動くのも嫌になってきた。
急ぐ山旅ではない、時間はいくらでもある。
座り込んで、山々の表情や花達の表情に見入る。
なんとか写真に切り取れないかと試行錯誤を繰り返すが、私の腕ではいかんともしがたい。
雲とトムラウシ
花や景観ゆっくり楽しんでいると、後ろからチリンチリンと熊鈴を鳴らしながら一人の男性が登ってくる。
「どうぞお先に」と道を譲ると、「たかさん、ですよね?」
以前、ペンケヌーシにご一緒したことのあるKMさんである。
偶然の再会は嬉しいものだ。手短に挨拶を交わし、先に行って頂く。一人の男性が五色岳方向からやって来て、五色岳と化雲岳の間のハイマツ帯に羆が居て、うなり声を上げていてとても通れないので戻って来たと話す。
ここは元々羆達の住処なのだから、居たって驚くほどのことではない。
でも、決してお会いしたくない相手ではある。
こちらの存在を知らせて、羆に避けてもらうこと、出会い頭だけは避けなくていけない。
緩やかな斜面を花や景観を楽しみつつ歩く。
気がつかないうちに何処が山頂だか分からないような五色岳山頂、1年振りの大景観が広がっている。「ご苦労さまで〜す!」明るい声に迎えられる。
学生の男女4人連れのグループ、若くて明るく溌剌としていて元気一杯だ。
先着していたKMさんや学生グループたちと、たわいもない山話に盛り上がる。
此処からの景観は初めてのカミさんに、位置関係を説明する。
トムラウシ温泉からしか登ったことのないカミさん、どうも全体像が頭に浮かばないらしい。
手持ちの地図は天沼までしか持っていないので、地面に略図をかいて説明。
ようやく理解出来たようである。
五色岳山頂にて
羆の情報は皆さん承知していて、学生さん達と四国から来たという単独女性は連れ立って行くという。
くれぐれも気をつけてと言うと、「10秒毎に笛を吹き、歌を歌い、物音や気配に注意しながら行きます」と男子学生が笛を吹き、女子学生が歌を歌いながら出発して行った。
あの底抜けの明るさなら、羆も避けてくれるだろう。
(てっきり学生さんだと思い込んでいたこの若者グループ、実は社会人の方々であった。下山後お便りを頂き分かったのだ、大変失礼いたしました。それにしても羨ましいほどの若さと明るさの方々でした。)
私たちは今日は忠別岳避難小屋で泊まる予定だ。
HMさんとまたの再会を約して、忠別岳とのコルへと北へ向かう。
コルへ下る間も万一に備え雄叫びを上げ、羆にこちらの存在を知らせる努力をする。
忠別岳にも登ろうと思っていたのだが、雲が流れて来て山頂を隠そうとしているのでそのまま避難小屋に直行。
時間はまだ12時、当然ながらまだ誰も居ない。昨年より明らかに大きく残っている雪渓から豊かに流れ出す冷たい水で体を拭き、水場の脇に腰を下ろしてお昼ご飯。
荷物を少しでも軽くする為、フランスパンとバター、キュウリとお味噌という質素な食事だけれど、お腹が空いていて美味しい。
疲れ切って食べる食事ではなく、余裕たっぷりで元気一杯なのも美味しく食べられる秘訣なのかもしれないな。食事の後は荷物を整理し、小屋の周りを散策しながら花三昧。
チシマツガザクラ
避難小屋の周りには、雪渓が溶けた所から順番に花が咲きだし、多くの種類の花が旬の状態で咲いている。
リンネソウ
いつもは通り過ぎながら見るだけのリンネソウ、じっくり見ると下向きの花の中は赤いというのを初めて知った。
エゾノツガザクラとアオノツガザクラが同居している
のんびりじっくり観察していると、今まで気がつかなかった色々のことが見えてくる。
ツガザクラの壷型の小さな口を押し開くように大きなオオマルハナバチが体を震わせながらねじり入れて蜜を吸っている。
何ともユーモラスな格好で笑ってしまった。
ミヤマキンバイ
エゾコザクラやミヤマキンバイの花一つ一つを虫達が丁寧に訪れている。
律儀なものだ。
エゾコザクラ
花が痛み易いエゾコザクラも咲いたばかりの奇麗なものも多い。
まだ全長3cmほどのつぼみを付けたものも沢山。
一人前の姿をしているのも珍しく、面白い。
エゾコザクラの蕾
そして色で眼を引くのは、鮮やかな青のミヤマリンドウだ。
蛍光でも入っているようなすっきりとした明るく鮮やかな青、こんな色を出す自然の仕掛けは不思議なものだ。
ミヤマリンドウ
ミヤマリンドウと対極にあるのが、ミネズオウだろう。
さほど目立つ花ではないが、優しいピンクの控えめな表情の花である。
白花も多いのだが、ここのはピンクの花。
ピンクのを初めて見るカミさんは大喜びだ。
ミネズオウ
高山植物の定番、チングルマも豊かに咲いて存在をアッピールしている。
花も美しいが、日射しに輝く穂も美しく、私は好きだ。
チングルマ
花を見たり、おしゃべりしたり、おやつを食べたりしているうちに、午後三時近くになる。
そろそろ今日泊まる人達が来ても良い頃だと思うが、まだ誰も来ない。秋空のような筋雲や鱗雲が西からたなびき、忠別岳に掛かろうとしている。
静かな時が流れる。
秋のような空が広がる
気温が低くなって来たのだろう、雪渓の上を冷気が霧のようになって流れ始めた。
ダウンパーカーを羽織り、腰を下ろしていると一組の登山者達が降りて来た。
小屋の脇の雪渓
雪渓を慎重に渡り、近づいてくる。
「お疲れさま!」と声をかけると、先頭の女性があらっという表情で「たかさん、でしょう?」
なんと同じメーリングリスト仲間で何度か山行をご一緒したFMさんである。今日は偶然にも山の中で二人の方と再会したことになる。
こんなことは珍しい。
ともあれとても嬉しく、ご挨拶をし再会を喜び合った。
彼女達は今夜はテントで寝るという。
私たちは曇ってきて万一雨でも降ると嫌なので小屋泊まりを決め込んだ。日が西に傾き、稜線に姿を消そうとしている。
ちょっぴり夕照の気配が漂った。
夕日と雪渓
結局この日の小屋には、私たちと旭岳からのまだお若いご夫婦、美瑛富士から縦走中の男性2名の計6人。
テントにFMさん達5名、合計11人が忠別岳避難小屋で一夜を過ごした。男性達によると、化雲岳と五色岳の中間付近の雪渓に2頭の羆が寝そべっているのを見かけたとのこと。
怖かったけれど、一生の思い出になったと話していた。明日は下の方に降りていてくれると良いのだけれど・・・。
ラジオの天気予報によるとお天気は大きく変化して、曇りのち雨だった明日の予報は晴れ午後からにわか雨に変わったようだ。
・急坂を曲がりし陰にま黄色なる
ウサギギク咲くかすかにゆれて・トムラウシ山にま向かい佇めば
お花畑に冷たき風吹く