三の窓雪渓と裏劔の針峰群
険しく急峻な岩稜と谷を埋める豊かな雪、近代アルピニズムの象徴的存在の山、旧陸軍陸地測量部が最後まで登頂測量出来なかった難攻不落の山、山頂に残されていた平安時代の錫杖、深く険しい黒部峡谷を巡る開発など、劔岳ほど世間の話題を集めた山はなくそれは小説となり映画となってさらに注目を集める事になっている。
私にとっても劔岳は若い頃から憧れの山であった。
岩を攀じる能力は無かったから、別山尾根から、長次郎雪渓から、平蔵雪渓から何度も登り、そして劔沢雪渓からただただ劔岳を眺め、まさに劔岳の内懐に抱かれた日々を過ごした、思い出の詰まった特別の山なのである。今回の北アルプス再訪の山旅は、この劔岳を再訪する為に計画したと言っても過言ではないのだ。
もう一度、しっかり劔岳と向き合いたい。肌で触りたい。目に焼き付けたい。そんな思いなのである。せっかくの機会、これまで歩いた事の無かった早月尾根、裏劔、黒部峡谷も併せて歩いてみる事にした。
計画の概要は次の通り。『馬場島〜早月尾根〜劔岳〜別山尾根〜劔沢〜真砂沢〜仙人峠〜池の平〜仙人池〜仙人温泉〜仙人ダム〜黒部峡谷下の廊下(十時峡往復)〜仙人ダム〜阿曾原〜水平歩道〜欅平〜宇奈月』
この間を4〜5日かけて 、ゆったり巡り歩こうと言う趣向である。
早月川からの劔岳と早月尾根
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天気待ち
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9.13(月)の夜は登山口である馬場島で車中泊、早朝の出発に備える。
まだ台風の余波か雨が降っていて時折強く降る、回復してくれるよう祈るような気持ちでシュラフに入る。
9.14(火)朝3時過ぎに起きると満天の星空。やった〜! 嬉しく早速準備開始だ。
馬場島は劔岳の登山基地、登山者の安易な気持ちを諌める碑や慰霊碑などが幾つも置かれていてさながら鎮魂の杜の雰囲気がある。
大学や登山会などが慰霊のプレートを大岩にはめ込み鎮魂の場としているし、仏像が刻まれていたりする。
劔岳に散った若者や先人たちに一礼し、登山口を出発する。
時間は4時、まだ真っ暗である。
ヘッドランプの光りが結構急な坂道を照らしている。輝く星空が励ましてくれているようだ。早月尾根は登山口の馬場島が標高760m、劔岳の標高が2999mだから標高差2240mのアルプスでも屈指の長大な尾根。途中に山小屋が一軒あるだけでエスケープ・ルートも無い。
実際に歩いてみて感じたのは、斜度そのものは日高の山、例えばコイカクや楽古岳、神威岳などのほうが厳しい。
だけど本当に長大である、それが分かっているから歩けるのであって、知らなかったらいい加減嫌になってしまう長さである。
ちなみにガイドブック等によれば、山頂まで8時間半を要すると書かれている。真っ暗だから周囲の状況は良くわからない。
一旦斜度が緩んだり、杉の大木が何本も立ち並んでいる尾根道を淡々と登っていく。登山口では満天の星空だったのに、雲が掛かり始めたのか星空が半分ほど隠された。
5時頃から夜が開け始め、空も明るくなり周囲の状況も見え始めた。
思ったより晴れている、どうかこのまま良いお天気でありますよう・・・。
夜明け お天気も良く清々しい
樹林の尾根を淡々と登る。
とにかく長い尾根歩きなのだから、焦って疲れては元も子もない。
意識してゆっくり、スローペース。お昼頃に山頂に着ければ上出来とペースを維持する。
お陰で呼吸も楽で周囲を観察する余裕もある。
標高200m毎に標高プレートが設置してあり、どの辺りを歩いているのか把握出来るのがありがたい。
C1800m付近の木々の間から左手に劔岳北方稜線に続く猫又山などの姿が垣間みられるようになった。
北方稜線の山々
斜度は緩んだり急になったりを繰り返して標高2000m付近まで登って来た。
右手には大日岳などの大日三山が見えている筈だが、中腹より上は雲に覆われ定かではない。
水たまりのような小さな池塘を過ぎ一登りすると、早月小屋が見えてきた。小屋のベンチでご主人と雑談しながらおやつを口にする。
ドライフルーツの甘さが美味しく嬉しい。
気になったのは、小屋のご主人が「晴れてきたけれど一雨来るかも知れないな〜」とつぶやいた事だった。
早月小屋を後にして相変わらずのゆっくりペースで登っていく。
山頂まで3時間で行けば良いのだと自らを納得させる。振り返ると早月小屋の向こうには登山口の馬場島や早月川、さらに富山市や富山湾が広がっており、初めての景観に見入ってしまう。
早月小屋を見下ろして 遠くには富山市や富山湾が広がっている
C2400m付近で森林限界となりハイマツが多くなってきた。
この頃から谷間と言う谷間からガスが湧きだすように立ち上り、瞬く間に辺り一面に広がり始めた。
日差しが強くなり始めたからなのか、一時的なものなのか、このまま雲となって居座るのか、見当もつかない。
どうか一時的なものでありますよう、祈るだけだ。
沸き上がるガス
C2600mで一旦斜度が緩み広場になっている。
シラタマノキやコケモモ、木いちごがたわわに実っていて、ちょっと休憩。
それぞれ美味しいが、木いちごは絶品。熊さんには申し訳ないがかなりの量を頂いてしまった。
登る尾根の左手には北方稜線の一部なのだろう、険しい岩肌の稜線が続いている。
いよいよ核心部が近づいている感じだ。
北へと続く岩稜
次第に岩場となってくる、コースはペンキでしっかり明瞭に示され不安になるような所は無い。
ただガスが押し寄せて来て視界が悪くなるのが嫌である。
岩場を取り巻く青空とガス
この付近の岩は劔岳特有の堅いしっかりした岩のイメージでは無く、ザレた不安定な岩が多いように感じた。
コースから外れると岩が不安定だけに注意が必要だ。
早月尾根の山頂部 脆い岩場が連続する
C2800mを越えると獅子頭やカニのはさみと呼ばれる難所だ。
でも知らなければ何も思わず通過してしてしまう程度の所、鎖や足場がしっかりしているし三点確保さえしていれば何ら問題は無い。
獅子頭の岩場 鎖や埋め込みボルトが設置されている
岩場は甘く見たら手痛いしっぺ返しを食う恐れがあり、緊張感を持って岩を観察しながら登るのが気持ち良く、疲れも感じなので、私は好きだ。
もっともこれが何時間も続いたら、緊張を維持出来ないだろうし体力気力を消耗し切ってしまうかも知れないが・・・。
もう山頂は近い筈と見上げると、稜線近くに白い十字架が立っているよう見える。
なんで劔岳に十字架が?そんな思いにとらわれていると、後から若者4人のパーティが追いついて来た。
「早いね〜、何時に出て来たの?」と私。
「寝坊して馬場島を6時です」と彼ら。
それを聞いて、思わずひっくり返りそうになってしまった。
私より2時間も早く登って来たのだ。それなのに苦しい顔一つしていない。「凄すぎて、羨ましさを通り越して、妬ましいよ!」
それを聞いた若者たちは、大爆笑。
しばらく労ってくれ、話しながら私と一緒に歩いたが、余りのスローペースに我慢出来ないと先に行き、あっという間に見えなくなった。あんな時代が私にもあったんだよな〜と圧倒的な体力差を見せつけられ、諦めの境地で山頂を目指した。
十字架と思ったのは別山尾根との分岐に立てられている標識だった。
そうだよな十字架なんて、ここは日本だぜ。
別山尾根と合流 山頂はすぐ
山頂へは一息だ。
気がかりはガスが流れ周囲の景観が見えない事だ。山頂はどうなのだろう?山頂に立つお社の裏側から三角点へ、残念なことにガスで視界は全くと言って良いほど利かない。
頭上は青空なのに・・・。
せっかくなのだから、しばらく待ってみよう。
劔岳山頂のお社
それにしてもこのピーチクパーチク、壊れたラジオみたいな騒音は何だ?
劔岳山頂に狂ったスピーカーを設置した訳でもあるまいに。
原因は関西弁連合会婦人部ご一行15名ほどのおばちゃん。
壮絶なしゃべり、すさまじい限りである。先ほどの元気な若者たちも、その他の登山者たちも、怖じ気づいたように隅で小さくなっている。
携帯が通じるのでカミさんに電話したら「すごく煩いけど本当に山の上に居るの?」と詰問されてしまったほどなのだ。この人達は何の為に劔岳にやって来たのだろう?
山を愛している訳でもなく、自然に親しみたい訳でもない、ただただ劔岳に登ったと言う事を話題にしたくて、自慢したくて来たに違いない。
これをネタに何時間でもしゃべりまくるのだろう。
自慢し話題にするだけなら、どうか止めてほしい。
3人もいるガイドさんたちは、何を指導し教えているのだろう。
お揃いのスワミベルトをしているけれど端末処理をしておらず、万一の場合あの体重がまともにかかったら抜け落ちてしまうかも知れない。
でも、私は知らん顔を決め込む事にした。それも話題になっていいでしょうから。
ガスの山頂
狂ったスピーカー用の耳栓を持っていない事を悔やみつつ、ガスが晴れるのを待ちながら昼食。
源二郎尾根の岩稜も八ッ峰の鋭峰も見えそうで見えない。
ガスの檻に閉じ込められ、いかんともしがたい。1時間ほど待つが、目立った変化は無い。
劔岳山頂からの大展望は残念ながら諦めざるを得ないと、重い腰を上げた。
別山尾根には早月尾根以上に難所と言われる鎖場等が連続している。
集中力を切らさず、緊張してくだろうと自分に気合いを入れ直す。山頂を後にすると、ペンキマークや踏み跡が交錯してどれが正しいのか分からない。
マークが着いているのだから最初の難所「カニの横ばい」へ行くのだろうとガスに巻かれながら進んだ。カニの横ばいに着くと若い女性と中年のご夫婦が立ち往生している。
女性が壁に取り付けないでいるのだ。
壁を見ると体を少し離せばしっかりした足場が見えている。
鎖に掴まって少し怖いかも知れないが、体を離すと足場が見え十分届くと教える。
2・3分躊躇していたが、意を決してやってみると意外に簡単に足が届いたようだ。
その時の表情、良い笑顔だったな。ご夫婦が私が取り付くのを見ていたいと言うので、先に下らせてもらう。
テラス状の岩だなに乗り移り鎖を頼りにトラバース、ご夫婦は分かりましたと私に続いて降りて来た。
カニの横ばい 最初の一歩を踏み出せば後は簡単
次いで梯子、鎖を辿って大きな岩壁を下ると平蔵のコル。
平蔵雪渓は上部が溶けてザレ場と化していた。
梯子、鎖を利用して垂直な壁を降りる
コルから「カニの横ばい・立てばい」と同様に上り下りのルートが分離された特徴ある岩を登り返す。
ここが平蔵の頭と言うらしい。
鎖を利用して登り返すと「平蔵の頭」
平蔵の頭からも幾つかの鎖場があるが、ここまでが実質上の核心部だろう。
時折ガスに視界を奪われながら、緊張感を維持しつつ岩場を乗り切った。前剣をすぎるとゴロゴロ石の斜面に変わり一服剣へと下っていく。
これを越えれば剣沢は近い
時間はまだ午後1時だ、予定では今日は剣沢までと思っていたが真砂沢まで行けるかも知れない。
無理する必要は無いが、無駄な時間を浪費するのも馬鹿らしい。
そんな事を考えているうちに、雲行きが怪しくなり、ポツポツ降って来た。
早月小屋のご主人の予想が見事に当たってしまった、さすがだと思う。
ザレた石ころ道は歩きにくく、思うように急げない。
雲行きが怪しくなるも、足場が悪く急げば滑る
後10分もすれば剣山荘の地点で、雨が本降りに。
雨着を着た方が良い振り方だが、小屋まで急げば同じか?
とにかく急いで小屋に逃げ込む。小1時間で止めば真砂沢まで行こうと思い、小屋にお願いして雨宿り。
しかし雨はやまない。
これも定めかと、今日は剣山荘にお世話になる事を決め、宿泊を申し込む。
割り当てられた部屋は、ズラリと二段ベット状に仕切られ、一部屋32人が泊まれるようになっている。
この日は平日と言う事もあり、6人で余裕たっぷりだった。この小屋も私が知っている大昔の建物とは全く違って、新しく立て直されたもの。
全体に明るく広くて奇麗。
古く汚い山小屋なんて、泊まってくれる人も居ないのだろう。シャワーもあり、水洗トイレ、エアコンまで完備している。
確かに快適だが、山の中でこれで良いのだろうか? と思ってしまうのは古いからなのかな〜。
またゴミはすべて自分で持ち帰れと言うのにも、すっきりと納得出来なかった。
お弁当やおやつ等で多少のゴミは出るものだ。中には腐るものだってある。
ゴミを燃やすのは環境汚染に繋がると言うのなら、水洗トイレやエアコンはどうなのか?
私には良くわからない。ともあれ、明日は楽しみにしている裏剣だ。
どうか、良いお天気になってくれますように!