朝4時に皆さん揃って起床。
シュラフやマットを片付け、朝食の準備だ。
皆さんお湯を沸かし思い思いの食事作り、でも私はおにぎり二個だけだからあっという間に食事も終了。今日の予定は梅花皮岳〜御西小屋、そこから大日岳往復を楽しんで飯豊本山小屋までの稜線と花を楽しむ、のんびりゆったりコースである。
急ぐわけではないが、準備はすっかり整った。まだ食事準備中の皆さんと暫く会話を楽しんで一足お先に小屋をあとにした。外に出ると、お天気はまずまずのようだが稜線上部には雲やガスが張り付いている。
ガスが晴れ、スッキリとした青空を期待しながら梅花皮岳への山頂を目指す。
振り返ると、一晩お世話になった梅花皮小屋と北股岳が見えている。
北股岳、鞍部に梅花皮小屋
朝の飯豊稜線は涼しく快適だ、これで見通しが利けば文句はないのだが、残念なことに雲やガスは少なくなるどころか逆に増えてきている感じである。
雲が切れても周囲はボンヤリ霞んで見えるだけ、展望は期待できないかも知れない。
飯豊の大パノラマを堪能しながら歩くのを夢見てきたが、どうやら果たせそうにもない。
そのかわり、花々が沈みがちな気持ちをもり立ててくれる。一面の花畑、花の種類も量も圧倒的だ。
しばらくは花を存分に楽しもう。まずはイワカガミ、ピンク色が切れ目なくズ〜と続いている、凄い!
イワカガミ
ニッコウキスゲも霧の中に濃い黄色でその存在をアッピールしている。
ニッコウキスゲ
そして思いもしなかった、ヒナウスユキソウの大群落。
ここでは珍しい花でも何でもない、極く普通に目立たずいくらでも咲いている。
ヒナウスユキソウの大群落が続く
ウサギギクもキスゲに負けじと鮮やかな色を目立たせていた。
ウサギギク
湿った草原や湿地に多いイワイチョウが稜線にたくさん咲いている。
雪が多くそれだけ水分が多いということなのだろうか?
イワイチョウ
アオノツガザクラも量はそんなに多くないが、あちこちに見られる。
アオノツガザクラ
そしてコザクラの仲間、ハクサンコザクラ。
ハクサンコザクラとしては飯豊が北限なのだそうだ。
ハクサンコザクラ
アカモノも道の両側に見られる。
アカモノ
全くスゴイ花の数、そして量。
ガスの中から、次から次に湧き出すように姿を現せる。嬉しくなって、稜線から花好きのカミさんに電話。
予定を変更して昨日から飯豊に入っていること、お天気が思わしくない代わり花が素晴らしいこと、下界は死ぬほど暑いけれど稜線は心地良いことなどを伝える。
カミさんからは家の方は心配いらないから存分に楽しんできてほしい、暑いそうだから体を休めながら無理をしないように、そして写真を楽しみにしているとのことだった。
梅花皮小屋から御西小屋まではずっと稜線通しである。
道はこの稜線の最上部か左右に少し外れて通っている。
稜線の御西小屋へ向かって左側(東側)の道は、雪渓や雪田によって覆われている所が十数箇所あり、そこは雪渓の上を渡っていくしか無い。
長さも長いものでは数百mにもなり、さすがに豪雪地帯の山ならではの光景である。
雪渓で道が覆われ、雪の上を渡っていく
比較的大きな雪渓の上端部は概ね平らになっているのでその上を渡れば問題はない。
小さな雪田は雪も薄く上部の斜度もきつく地面と接しているところは凍っていることもあるので、少し注意が必要である。いずれにしても7月の中旬に雪と緑のコントラストを楽しみながら歩けるのは飯豊連峰の魅力の一つに違いない。
花と雪の道を楽しみながら梅花皮小屋から歩くこと3時間半、御西小屋へ着いた。
まだ雲はしつこく山肌にまとわりついていて離れようとしない。
大日岳方面も雲に隠れて概要さえ見せてくれないのだ。
大日岳方向も雲だらけ
ここで考える。
これまでの状況から雲が切れ晴れてくることは考えられず、今日は終日こんな天気だろう。
そうだと、大日岳まで行っても意味が無いような気がする、かと言って本山小屋へ直行しても半日以上何もせずぶらぶら過ごさざるを得ない。
それなら、いっそ下山してしまおうか?迷う、迷う。
御西小屋の水場に水を汲みに行きながらも心が揺れる。
花と雲の飯豊を楽しんだ、そう思えば良いのではないか?
よし、決めた。予定を早めて今日下山しよう。計画変更は得意中の得意、朝令暮改は朝飯前だ。
本山小屋に泊まるにしても、ダイグラ尾根を降りるにしても必要な水を御西小屋の水場で補給し、大日岳往復は諦めて飯豊本山を目指す。
御西小屋から1時間ほど歩いて行くと、ガスの中から前方の稜線が全容を見せ始めた。
今回の飯豊で初めて見る見通せる稜線の姿だ。
姿を見せてくれた飯豊山頂
最後の最後に焦らせるように顔を見せるなんて、まさに千両役者。
思わず声を掛けたくなる「良いで〜! (飯豊)」なんてね・・・。この頃から本山小屋を出発した人たちとすれ違うようになってきた。
挨拶を交わしながら花の情報交換をしたり、晴れることを願ったり。飯豊山手前の駒形山を超えれば、スッキリした飯豊山が全容を現した。
飯豊山
午前9時40分、今回の最高峰「飯豊山」山頂に立った。
周囲は雲に囲まれ眺望は得られないが、飯豊の山頂だけがポッカリと晴れ間の中にいる。
やはり何とも幸せな気分。思わず顔がほころぶ。
飯豊山山頂
山頂に居た重装備の学生二人に問われ、ダイグラ尾根を下ることを話す。
「あの悪名高きダイグラ尾根を下るのですか!」一人が素っ頓狂な声を上げる。
「ネットで見たら、降りるだけで10時間以上掛かっているのを幾つも見ましたよ」「おいおい、脅かすなよ。そんなに掛かったら今日はビバークしなくちゃならないじゃないか。せいぜい7時間だろう?」
7時間だと仮定して、温身平に着くのは午後5時なのだ。
余りのんびりしてはいられない。10時には気合を入れなおし、ザックを背にした。
ダイグラ尾根は初めてのルート。体力的にかなりハードなルートだと聞いている。
「よし、行くぞ!」飯豊山山頂を後にダイグラ尾根へ第一歩を踏み出した。最初こそ緩やかな下り坂だが、次第に傾斜は急になり一気に300mもやや荒れた道を下り鞍部へ降りたつ。
そして何度も下りと登りを繰り返して宝珠山へと登り返していくのだ。
宝珠山
負けるものかと、何も考えないようにして一歩一歩に専念する。
暑さも加わり、汗が滴り落ちる。シャツもズボンもビショビショだ。
振り返ると飯豊の稜線が雲に見え隠れしている。
雲に覆われる飯豊の稜線
これがダイグラ尾根の下りなのか。
下っているより登っている時間のほうがずっと長い。
傾斜も中途半端ではない、暑さも私を苦しめる。
目の前がボ〜としてくる。
宝珠山への登り返しに苦しんでいる時だった。
淡いピンク色が目に飛び込んできた。「ワァ! 本当かよ!」
想像だにしなかったヒメサユリである。
さすがに旬は過ぎているが、まだ美しく可憐で清純な姿で咲いている。
初めて見るヒメサユリ本物の姿。
ヒメサユリ
目がシャキとして、元気が出る。
まさに天使の励ましである。
ヒメサユリ
ありがとう、ヒメサユリ。
お陰で元気をもらい、頑張ることが出来ました。
ようようの思いで宝珠山へ登り返し、振り返ると最後になるであろう飯豊山が微かにその姿を見せていた。
「さよなら飯豊。ありがとう。」
かすかに見える飯豊山頂
下るに従って暑さも増してくる。
暑さにはすっかり弱くなっている私、ほとほと参る。
幸い、所々に小さな雪田が残っていて道を横切っている。
その度に表面の汚れを削り、綺麗な雪で首筋を冷やし、帽子の中に雪を入れて頭を冷やす。宝珠山から休場峰の間で登ってくる単独の若者二人に出会った。
若いとは言えさすがに二人共相当疲れている。
エールを交換し、励まし合う。私が小さな雪田に大の字になってひっくり返っている時に現れた若者、並んで雪の上に腰をおろし一息入れている。
私が何気なく雪をすくい、口に入れたのを見て「危なくないですか?」
「何が?」
「放射能ですよ!」一気に現実に引き戻された気がした。
そうか、そうだよな。
福島原発からの放射能がここまで飛散していることは十分考えられる。「とうとう俺も汚染人間になってしまったと言うことか。これから人を喰ったような態度をした奴には、食えるものなら喰ってみろと言うことにしようか。」と大笑だ。
宝珠山から休場峰までも上り下りが繰り返され、気力体力を使い果たす感じである。
鎖場のある岩峰を乗り越えた所が休場峰、正直何処が何処なのか判らないぐらいに疲れていた。
休場峰
休場峰からは登り返しは無くなったが、ものすごく激しいまでの下りが延々と続く。
太ももに力を入れていないと止まれない。
しばらく頑張っていたら、太ももの筋肉が時折ピクピクし出した。
このままにしておいたら、痙攣を起こすかも知れない。ザックを下ろし、痙攣予防の漢方薬を飲み、太ももやふくらはぎをマッサージ。
気持ちの中で半分は本当にビバークを考え始めている自分がいた。30分に一度の休憩をはさみながら、下り続ける。
沢音が聞こえ始め、ほんの僅かづつ大きくなってくる。それだけが楽しみだ。木々の間から沢の流れが見え、桧山沢の吊り橋が見えたときは涙が出るぐらい嬉しかった。
「よく頑張った!」自分で自分を褒めてやりたい。
吊り橋を渡ってザックを下ろし、沢の流れの中に頭から突っ込んだ。濡れるなんて構わない、ただただ嬉しかった。
桧山沢に降り安心したが、実は少し早かった。
そこから温身平へ、そして飯豊山荘へは、さらに1時間足を引きずりながらの頑張りが必要だった。早朝梅花皮小屋を出てから14時間、最後の1時間はひたすら山荘でゆっくり泊まることだけを考えていた。
山荘に着いて、荷物を車に置き着替えだけを持って山荘へ。温泉に身を沈め、目を閉じる。
イワナの塩焼きと牛の陶板焼が目の前に並んだ・・・。こうして東北の山旅の第一幕は終わりを告げたのである。