ひときわ鋭く屹立する芦別岳
・芦別岳
芦別岳は夕張山地の最高峰である。
その堂々たる山容は盟主としてふさわしい風格で、適切な表現かどうか分からないが逞しい男性的なイメージの山だと思う。
夕張山地は褶曲山地で東西方向には狭く南北に長い地形の関係で、芦別岳も見る方向によってその山容は大きく変化する。
南北方向、特に北からは槍の穂先のように切り立って見え、「北海道のマッターホルン」「槍の穂先」「芦別の牙」などと呼ばれているし、逆に東西方向からはどっしりした堂々たる姿をしている。山頂周辺には幾つもの岩稜・岩壁を巡らし、岩登りのルートとしても道内屈指でクライマー憧れの山でもある。
一般登山ルートとしては、本峰から3kmほど北にある夫婦岩を廻り込み北尾根を南下する花と展望の旧道コース、東尾根を登り半面山・雲峰山を経る比較的楽な新道コース、ユーフレ川から本谷を遡る本谷コースの3本があり、四季を通じて大勢の人に親しまれている山である。
今回、私たちはこの芦別岳に登る計画を持っていなかった。
それなのに結果として登ることになったのは、思いもよらぬ出来事があったからである。
・ああ無情!
私たちは今回、大雪のトムラウシ山とその西麓にある黄金ヶ原・三川台周辺でのんびり花を楽しみ過ごそうと7/11(木)午後、上俵真布林道の鍵を借りるため美瑛の森林管理署を訪ねた。
ところがである、「鍵は全て貸し出してあり手元にはない」と云う返事。
ああ無情! 何たる不運!
林道の鍵が無くては、諦めるしかない。
連休を控え、手回しよく鍵を確保する人が多かったのだ。ショックで愕然とした私達は、美瑛の丘から雄大に広がる十勝連峰をぼんやり眺めるほかなかった。
美瑛の丘から眺める十勝連峰
・転進!
さてどうするか?
7/12(金)〜13(土)は晴れの予報で絶好の山歩き日和と思われるのだ。観光農場の花畑を見学しながら、次善の策を検討する。
テント泊のつもりで準備してきているので、事前の候補を考えた。
・富良野岳から稜線の花を楽しみ上ホロの避難小屋に一泊、翌日は十勝岳を往復する案
・トムラウシ温泉からトムラウシ山へ登り南沼で一泊、翌日は黄金ヶ原を散策する案
カミさんは「出来るなら行ったことのない山に・・・。芦別岳は無理かしら?」
次善の策を相談しながら・・・
芦別岳は私も好きな山、旧道から2回、本谷から1回登っている。
もっとも左膝の半月板を損傷して、とても痛く辛い目ににあった山でもあるのだが・・・。どうせ行くなら、鋭く尖った「芦別の牙」が岩尾根を超える度に段々と大きくなるのを楽しめる旧道から連れて行きたい。
結構キツイけれど、荷は私が全部持てば大丈夫だろう。ということで、その日は山部のキャンプ場で車中泊。
7/12(金)は芦別岳を目ざすことになったのである。
出来るだけ早立ちのつもりであったが、ちょっと寝坊してしまい5時丁度にキャンプ場を出発。
長丁場に備え荷物は必要最小限、とは言ってもザックは縦走用のもので中身よりザックのほうが重いぐらい。
カミさんは、バランスが取れるからと水と日焼け止めだけ入ったザックを背負っている。ストックを家に忘れてきたので、前日富良野市内のスーパーで買い求めた一本98円の園芸用のプラスティック支柱で代用だ。
話は変わるが近年道内ではエゾシカの食害が大きくその対策に頭を痛めているそうだ。
山部も同様のようで、芦別岳の登山口にはゲートが設けられ鹿の町への侵入を防止している。
今更天敵の狼を放つと云う荒業を使うわけにはいかないのだろうが、問題の根には害獣として日本狼を根絶やしにしてしまった人間のエゴがあったことは記憶に留めておくべきだろう。旧道登山口から手入れがされていない感じのやや荒れた道を大高巻や高巻を数回繰り返しながら進んでいく。
途中、2009.5に膝の半月板を損傷した辺りを通る時は、歯を食いしばりながら這うように登山口へ戻った苦しさ・痛さを思い出し感慨深いものがあった。
約1時間で「三段の滝」、確か白竜の滝とも呼ばれていたと思うが、ここでユーフレ小屋への道を左に分け、右の夫婦沢を遡り芦別岳北尾根へと登っていく。
水煙を上げながら流れ落ちる「三段の滝」以前は夫婦沢の右岸通しに踏み跡程度の道が付けられていたのだが、北尾根まで半分以上の道が崩壊し沢登り状態、ワイルド感たっぷりだ。
赤ペンキやテープでコース表示はされているものの、判断に迷う所も数箇所。スパイク長靴の私は問題ないが、登山靴を濡らさないよう歩くのは難しくカミさんの靴はびしょ濡れでかわいそう。
花もない荒れた道を遡るのは、快適とは言えずひたすら辛抱の時間が流れる。今年は雪が多かったせいか、夫婦岩への踏跡を過ぎても流れはかなり上まで続いていた。
ようやく小沢状態を脱し、北尾根に向け登っていくと花がちらほら姿を見せだした。
チシマノキンバイソウチシマノキンバイソウ、エゾイチゲ、ツバメオモト、ミズバショウ、ハクサンチドリ、ミツバオウレン、ミゾホオズキなどである。
・凍りつく恐怖!
ツバメオモトやミズバショウが咲いている沢筋で一休み。
カミさんが肩の辺りにムズムズ嫌な感じがするという。
うなじから肩の辺りを覗いてみると、「居た!」
赤黒いテカテカと光沢のあるダニが3匹も食いついている。
幸い食い付いたばかりだったのだろう、摘むとすぐに取れた。
シャツをめくると、さらに3匹がシャツの内側に付いている。
ヒャ〜・ダニが! 怖い!
私もC'Kしてもらうと2匹発見。
さらにザックの雨蓋辺りに沢山這い回っているのを発見、目をさらにして払い落とすが背筋がザワザワする感じがして落ち着いていられない。
まさに「凍りつく恐怖」である。途中、笹やフキの中を通らざるを得なかった所が数箇所あったので、その時に取り付かれたのだろう。
以後休憩の度にC'Kし合ったところ、下山するまで毎回数匹づつ見つけ始末した。
鹿が増えるとダニもすごい勢いで増えると聞いていたが、どうも本当のようだ。
注意と頻繁かつ入念なC'Kが必要だ。
ツバメオモト
・急登そして・・・
やっと沢地形から脱出し、尾根に出た。
所々雪の残る尾根、左手に夫婦岩を見ながらC1444mPへの急登に喘ぐ。
夫婦岩
尾根には数は多くないけれど花が点々と咲いているし、風も通る。
夫婦岩が迫力ある姿を見せ、見通しの無かった沢とは違い爽やかである。ピンクに混じって白花のハクサンチドリも幾つか見られ、ウサギギクやオオバキスミレも咲いていた。
早くもトウゲブキやコガネギク、ミヤマオグルマが咲いていて、秋の気配かと驚く。
トオゲブキ
見た目にはすぐのC1444mPだが、なかなか辿り着かない。
陽射しに汗が滝のように流れ、水の消費が激しさを増す。
水が足りるかな? 不安がちょっぴり頭をよぎる。励まし合って、ようやくC1444mPに辿り着いた。
そこで私達の目に飛び込んできたものは・・・。
・勇姿! 「芦別の牙」
まさに、スックと聳え立つ芦別岳の勇姿。
C1444mPから目に飛び込んできた、芦別岳
「オ〜!」と歓声が上がる。
まさに天をつく芦別岳の威容である。
右手にはこれから歩く北尾根が続き、左には新道の走る雲峰山と1稜から4稜の岩稜が本谷へ落ちている。北尾根は激しいアップダウンの連続で行程も長いけれど、大景観と花を楽しみつつ歩ける道。
ゆっくりで良いから着実に歩いて行こうと気合を入れる。ここから芦別岳は刻々とその姿を大きくしながら、その形も変えていく。
その変化を楽しみながら歩くのが、この旧道コースの魅力なのだ。
刻々と姿形を変える、「芦別の牙」
左下には山部から富良野に続く田園風景が広がり、その向こうには麓郷の森、更に向こうには十勝連峰がやや霞みながら見えていて、誠に気持ちが良い。
広かる景観
道の両側はハイマツが続き、その合間にタカネイバラやカラマツソウ、チシマノキンバイソウ、ミヤマリンドウ、ハナニガナ、チシマヒョウタンボクなどが咲いている。
C1505mPからは一段と細く突き上げる芦別岳の姿が。
だが北尾根の道のりはまだまだ途中、次第に疲れも出て、感動も薄くなり、口数も少なくなる。「お腹も空いた、お昼にしよう!」
細く突き上げて見える、C1505mPからの芦別岳
快晴だった空も雲が多くなってきた。
でも強い日差しを受けながら歩くより、多少でも陽射しが遮られるので嬉しささえ感じられる。
味気ないアルファ米の昼ごはんだが、食べれば元気と力が湧いてくる。「少しづつ大きくなっているけれど、まだまだ遠いわね」
「そうだな、でも引き返すより進んだほうがずっと楽だよ」
「そうね、あの沢を引き返すのはゴメンだわ。頑張って行きましょう」
・キレット!
花達に励まされながら、前へ前へと亀足を進める。
花を見ても「綺麗だね」と云うだけでカメラを取り出す気力さえ失いつつある自分が情けない。キレットにやって来た。カミさんから「ワ〜!」と云う声がもれる。
キレットからの芦別岳への感嘆の声かと思ったら、グンと下ってド〜ンと登る道を見て出た落胆の声だった。
キレットからの芦別岳
前回・前々回の時はさして苦労せずに歩いた記憶があるが、今回は気力を振り絞らなければ歩けない感じ。
それだけ歳をとり、体力が落ちているのだ。それを自分で実感するのが悲しい。カミさんは初めてなのによく頑張っている。
同じくキレットからの芦別岳
・お花畑
「これを頑張って登れば、あとは山頂への僅かな登りだけだ。がんばろう!」
多分私にとって、芦別岳旧道コースは今回が最後になるだろう。
キレットを下り、一歩一歩を噛み締めるように登っていく。
キレットを乗り越えるまで、もう少し
なんとかキレットを登り切ると尾根は徐々に広くなり、ゆるやかに登りながら山頂直下のお花畑に導かれる。
大雪のような圧倒的な量ではないが、種類はかなり多く楽しめる。
アオノツガザクラ
アオノツガザクラが黄緑の花を付け、瑞々しく可愛らしい。
ユキバヒゴタイも紫の花を付けだしている。
エゾシオガマもミヤマリンドウも控えめに咲いている。
もちろん、オオバキスミレやチシマノキンバイソウの姿も目立つ。
オオバキスミレ
ピンクの濃いハクサンチドリも目立つ存在だ。
ハクサンチドリ
それに引き換えカラマツソウは純白で清楚、風になびいてひっそり咲いているのがかえって目立つ。
カラマツソウ
ウサギギクも特徴ある葉を立てて存在を訴えている。
ウサギギク
紫と白のムシトリスミレは粋な配色。
ワスレナグサに似た色と形の花は何だ? 確証はないがミヤマムラサキの仲間かも知れない。その他、コバイケイソウやエゾヒメクワガタ、ミヤマダイコンソウ、ミヤマキンポウゲなども咲いていた。
・山頂だ〜!
山頂直下に広がる花達を眺め、いよいよ山頂への登りに差し掛かる。
確かこの辺にエゾルリソウがあった筈だと思いつつ歩くと、薄青色の可憐な花が出迎えてくれる。
初めて見るカミさんは、「とっても綺麗な色ね!」と嬉しそう。
時期が少し遅いのか、半分ぐらいの花を落として地面を青色に変えている。
一旦仕舞ってしまったカメラを出すのが面倒くさい、ありがとうと声だけ掛けて通り過ぎる。
山頂へはどのルートを取ろうか?
疲れているしカミさんに無理はさせたくない。
左の岩場は敬遠して、右側の易しいルートを選ぶ。
登った岩稜を僅かに戻れば、芦別岳山頂が待っている。「お疲れさま〜! よく頑張ったね」
「ようやく来れたわ〜。ありがとう」
二人だけの山頂。
言葉は要らない、静かに景観に見入る。南側にはポントナシベツ岳と夕張岳が静かに横たわっている。
黙って立っているだけでも、感激が心を満たす。
ポントナシベツ岳と、霞んでいる夕張岳
雲が多くなり霞んでいて遠景はスッキリしない。
歩いてきた北尾根、崕山、布部岳、富良野西岳などは、なんとか見えている。雲が日陰を作ってくれたから歩けたのかもしれない、景色は見えなくても感謝・感謝だ。
歩いてきた北尾根など
甘い羊羹やグレープフルーツの果汁が体の疲れを溶かしてくれるよう。
心底疲れてはいるが、充実した達成感に包まれ、満足だ。もう来ることは出来ないかもしれない、そんな思いで芦別岳山頂での記念撮影。
感慨を胸に記念写真
山頂の岩陰には、チシマギキョウが爽やかな色で咲いていた。
チシマギキョウ
確か前回同じコースを歩いて山頂まで、7時間半ぐらいだったと記憶している。
今回は約9時間、コースが荒れていたせいもあろうがそれだけ体力が落ちているのだ。
それを自分自身でしっかり実感するのも辛く悲しいものだ。下山にも3時間は掛かるだろう。
日没まで時間はたっぷりあるが、体力・気力を維持して無事降りなければ。水の残量をC'Kすると、カミさんはほとんど零。
私の残量1リットル強を半分づつ分ける。
・終わり良ければ・・・
山頂でゆっくり休んで栄養も気力も補給した。
怪我などしないよう、声を掛けあって慎重に降りようと気持を整えた、さあ下山開始だ。
雪渓の残る斜面の横を通過し、雲峰山へ降りていく。
左手は怖いぐらいにすっぱり切れ落ちた本谷、本谷を挟んで「Xルンゼ」がよく見えている。
5月の時には、長い尻滑りを楽しんだ半面山への下りは背の高い笹に覆われ見ることも出来ない。半面山で芦別岳の見納め、もう訪れることはないかもしれないと思うと感慨深いものがある。
北尾根から見る鋭く尖った姿はなく、堂々としたいかつい大きな山容だ。
北尾根からとは全く違う堂々とした山容を見せる半面山から鶯谷分岐までも長く辛い、疲れも出て無口になりがちになる。
務めて馬鹿話をし笑いながら、気力を保つ。途中甘いもの休憩、持ってきたおやつは全て完食。
残っているのは非常食の乾パン2食分のみだ。ユーフレ小屋への分岐である鶯谷から登山口までも、見晴らしなくゴロゴロ石の歩きにくい道。
辛抱、辛抱と言い聞かせ、意識してゆっくり慎重に降り続ける。垣間見える田園風景がだんだん大きくなってくるのが唯一の楽しみだ。
その内、車の音が聞こえ、犬の鳴き声も明瞭になってきた。薄暗くなった林の中の長い下り坂の向こうに、鹿よけのゲートと道路が見えてきた。
「やった〜! おつかれさま。 よく頑張ったな」
キャンプ場の給水場で顔を洗い、冷たい水を飲む。 「うまい!」
出発から12時間半が経過している。
ほんとうによく頑張った。
二人とも心底疲れてはいるが、目にはまだ力もある。
達成感と満足感、充実感、そんなもので心は満ち溢れている。
・寛ぎ
下山した姿そのままで、上富良野にある温泉へ直行。
ぬるめのジャグジーにゆっくり浸かり、手足を伸す。
ダニのC'Kも忘れない、大丈夫。
頭から足先まで泡だらけにして入念に洗い、疲れも一緒に洗い流す。温泉から出る二人の足取りは、「ピョコタン・ピョコタン」ぎこちない。
・振り返って
今回の芦別岳登山は、当初の計画が予想外のことで頓挫し、急遽変更した「瓢箪から駒」だった。
本来であれば、登山を取りやめるか、登るにしても簡単な易しい山にすべきだったのだろう。カミさんの希望もあり、私も3回の経験があったので、あえてハードなのを承知のうえで踏み切った。
結果は、なんとか無事に山頂を極め下山したものの、疲労は極度まで高まっていたと思う。歳でもあり、これからは体に優しく楽しい山行に重点を移行し、楽しむことと安全を第一優先にしていくべきだと痛感した。
・オジロワシ歌壇
・岩峰ははるかに遠し空仰ぐ
翼もつ鳥ほんに羨む
・山頂に腰かけ風に吹かれましょう
見渡すかぎり山並みあおし