熊野古道 歩き旅

 

 

   これは私たち夫婦が2013.11.11(月)から19(火)の間に歩き訪ねた、熊野古道歩き旅の記録です。
   誤解や記憶違いを恐れず、感じたままを綴っています。
   それらをご理解の上でお読み頂ければ幸いです。

 

光芒

 

要石

高野山から雪の伯母子岳、雨の果無山脈を越え熊野本宮大社も間近になったとある県道で、一人の女性から声をかけられた。
「雨の山越えはさぞ大変だったでしょう。私にはよく分かりませんがそんな苦労をして歩く熊野とは何なのですか?」

歩き始める前であればそれまで抱いていた「神々が住むという熊野の豊かで多様な自然を体感したい」「日本人の魂の原点と言われる雰囲気や気配を感じたい」などと答えたであろうけれど、実際に熊野古道を歩き想像していた古道の姿・雰囲気と現実とのギャップに戸惑っていた時でもあり、即答することは出来なかった。

「はっきり言って分からないのです。 まだ数日間歩きますのでその間に探し出せればと思います。」
と答えるのがやっとだった。

この女性からの質問はその後も熊野を歩いている間、私の心に刺さり続けた最も重要な要石のような存在であり続けたのだった。

 

熊野詣

江戸時代には「蟻の熊野詣」と言われたほど「お伊勢参り」と並んで庶民の人気の的だった熊野詣。

そもそも熊野は神話の時代から多くの神々がお住まいになっていたとされる特別の地、日本人の魂のふるさととも言われていた。
そこに仏が神の姿となって現れると言う権現思想なるものが出現、古代神道と仏教が融合し熊野三山が阿弥陀信仰の聖地として敬われだしたことに熊野詣の原点があるようだ。

古道
祈りの道、想いの道

 

平安時代中期から熊野権現信仰が盛んになり、法王・上皇・貴族たちが盛んに参詣するようになり、室町時代には加えて武士・庶民が、江戸時代には伊勢参りと並んで庶民が娯楽を兼ねて数多く参詣するようになったと言う。

現在は無論信仰心からお参りする方も居るだろうが、「心を癒やしたい」「日本人の心のふるさとを感じたい」「熊野の海・山・川・樹木など豊かな風土を体感したい」などと思って歩く方が多いのではないだろうか。

もちろん、私たち夫婦もその一人。
深い信仰心など持ってはいないが、熊野の豊かな自然に浸り自然への畏敬と感謝の気持を高め、心を洗い心を磨く旅が出来れば嬉しいと思っているのだ。
いわば、4年前に歩いた思い出深い四国歩き遍路旅の続編の気分なのである。

心を洗う
この沢水のような澄んだ心を・・・

 

参詣道

紀伊山地には起源を異にする「熊野三山」「高野山」「吉野・大峰」の山岳信仰霊場があり、夫々の霊場に至る参詣道、いわゆる熊野古道が整えられた。

それらを図で表すと下記のとおりになる。

古道
熊野古道 参詣道

 

熊野古道は大きく次の6つに分類されていて

1.京都から大阪、天王寺を経て田辺までの、紀伊路
2.伊勢神宮から熊野に至る、伊勢路
3.田辺から串本を周り熊野那智大社までの、大辺路
4.高野山から紀伊山地を縦断し熊野本宮大社に至る、小辺路
5.田辺から山中を通り熊野本宮大社、引き続いて熊野速玉大社、熊野那智大社を結ぶ、中辺路
6.九度山から町石道を経て高野山奥の院に至る、高野山町石道

この他に吉野山から熊野本宮大社に至る大峰奥駈道があるが、これは修験道の厳しい修行道で熊野古道とは区別されている。
なお、熊野本宮大社と熊野那智大社を結ぶ中辺路の道を小雲取越・大雲取越と分けて呼ぶこともある。

今回、私達が歩いたのは次の4本の古道である。

1.九度山から高野山奥の院までの高野山町石道。(約24Km)
2.高野山から熊野本宮大社までの小辺路。(約75Km)
3.熊野本宮大社と那智との間にある小口から熊野那智大社までの大雲取越道。(約17Km)
4.田辺から熊野速玉大社までの中辺路。(約45Km)

 

以下歩いた順に紀行と写真を掲載しますので、お好みのページから御覧ください。

古道名
日時
主要ルート

11.11(月) 

九度山〜高野山
11.12(火)〜15(金) 高野山〜大股〜三浦口〜十津川〜熊野那智大社
11.16(土) 小口〜熊野那智大社〜大門坂
11.17(日)〜19(火) 田辺〜熊野本宮大社〜川船下り〜熊野速玉大社



 

 

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