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機転
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登山口からかなりの急登、カミさんが左足首を痛めテーピングで対処しているので無理は禁物と意識してゆっくり登っていく。
雨は強弱を繰り返しながら降り続いている。
杉林がモヤと雨でミルク色に煙り幻想的だ。約30分で果無集落。
ここは天空の郷として紹介され、一躍有名になった集落で私達もどんな所か見てみたい場所の一つであった。
雨に煙る果無集落は人の姿もなく静かにひっそりと佇んでいた。
民家の庭先には、木をくり抜いた水槽と黄色のダリヤが人の姿は見えなくても、集落に住む方々の優しい気持ちがあちこちに見えている。
古道に面した庭先には大きな木をくり抜いた水槽に水が流れ喉を潤せるように配慮されているし、旅人の気持ちを安らげようと花が活けてある。古い民家の壁や軒先には、それとなく箕や笠、草鞋、吊るし柿、唐辛子などが飾られ、鄙びた集落らしい雰囲気を醸し出している。
鄙びた集落らしい雰囲気が
吊るし柿
通行する人たちが覗くからか雨戸は皆閉めてあるけれど、優しい気配りが好ましく嬉しく感じられる所。
生活するには色々大変だろうが、旅人にとってはオアシスのような存在だ。
雨の中、ザックに仕舞っていたカメラを取り出し、カミさんに傘をさしてもらって撮影タイム。まさに天空の郷と言うのに相応しい鄙びた集落ではあった。
果無集落
「今どき、ジブリの映画に出てくるような集落が本当にあるんだね!」
「住む人達の優しさが伝わってくるようだわ」そんな会話を交わしながら雨に濡れるのも厭わず、人影のない天空の郷「果無集落」に立ち尽くしたのであった。
そして記念に一枚
果無集落から斜度の緩んだ道を淡々と高度を上げていく。
強い雨が雨着の上から叩きつけるように襲いかかる。ふと思った。
高野山に登る時も大雨にふられ、お大師様の戒めかと感じた。
今回小辺路を歩いていよいよ熊野三山へ近づいたと思ったら、再びの大雨。これは熊野の神様からの洗礼かもしれないと・・・。
それなら洗礼を浴びて清らかに熊野入りしよう。あたかも熊野の山々が雲を払い霧をまとって私達の眼前に神々しい姿を現したのを、言葉もなく見入っていた。
熊野の神々がおわす地へ
果無峠を超える道には随所に石仏が祀ってあり、通し番号が付けられている。
一つ一つにお参りしている余裕はないので、通過するたびに軽く頭を下げながら歩く。
このような石仏が33体、祀ってある
やがて観音堂へ、立派な観音堂だったが中を拝見しても暗くてよく見えなかった。
冷たい水があり、雨で喉の渇きはないが頂くととても冷たく美味しい水でペットボトルの水と入れ替えた。
佇む観音堂
登り始めて約2時間で果無峠。
多少の展望を期待していたが、樹林で見通しは利かず、風雨も強い。
そのまま通過して下山にかかる。相変わらずの杉の植林地で見るべきものもない。
祀られている石仏を見るのを楽しみに淡々と下っていく。
祀ってある石仏
休む適当な場所も見つけられず、雨が大きな杉で若干遮られている所で昼食を摂る。
一人分のお弁当を分けあい食べると、何となく暖かくなり元気も湧いてくる。雨は相変わらず降り続いているが、次第に弱まっている感じ。
道の周囲も少し明るくなってきた、雲の下に出たのかもしれない。
少しづつ明るさを取り戻した参詣道
大分下ってきたら、石畳の参詣道に変わってきた。
この石畳、見栄えはとても素敵なのだが濡れると滑る。
特にやや下向きにおいてある平らな石は慎重に乗っても滑り台のようなのだ。
石を見極め、足の置所を見据えてもどかしい程ゆっくりゆっくり降りていかざるをえない。七色分岐と言うところを過ぎ、更に下って行くと下に川が見え始め、周囲の山々が雲を纏いながら姿を見せ始めた。
もう熊野本宮大社は近い筈、神秘的な感さえする光景である。
熊野の川と山並みが見え始めた
元気を取り戻して下山を続けると、間もなく川沿いの道路に。
そこにはバス停があり、八尾木と書かれていた。そこから川沿いにのんびり歩いて20分で奥熊野の道の駅、時間は12:45であった。
道の駅でゆっくり休憩、温かい飲み物が体に嬉しい。甘いものなども買い込んだ。
この道の駅のバス停で本ページの巻頭に紹介した、女性からの質問を受けたのである。
「貴方にとって熊野とは何なのですか?」と言う趣旨の質問は、小辺路を歩き熊野の自然とは何なのだという疑問を感じていた私にとって、心に重く響いた質問なのであった。そして彼女とお話している内に新宮行きのバスがやってきた。
運転手さんに本宮から今日の宿がある小口へのバスについて聞いてみると、
本宮から小口へのバスはない、新宮行きのバスに乗り「神丸」と言う所で乗り換えるのだと言う。
そしてこのバスで行けば約1時間の待ち合わせで小口に午後4時頃に着くと教えられた。本来なら小辺路の最終章として熊野本宮大社まで歩き、大社を参拝してから小口へ向かうつもりだったが、道の駅から本宮大社までの道は中辺路からの道と合流するので後日歩く。今日どうしても歩かねばならないことはない。
バスを待たせるわけにも行かず、急遽決心変更してそのまま小口へ向かうことにした。
今日の宿は「小口自然の家」
廃校になった中学校を改装して青少年の自然研修施設として設立されたところらしい。
そこを私達一般の旅行者にも利用させている所。だから旅館や民宿とは趣が大分異なることを知っていないと戸惑うかもしれない。
私達は四国歩き遍路の時もそのような施設を利用していたのですぐに理解して馴染むことが出来た。過剰なサービスは期待できないが、若者たちの団体をターゲットにしているせいかお風呂は大きく清潔、食事はこれでもかという位の品数が並ぶ。
この日の宿泊者は私だけであったが、同宿の人たちとの情報交換や話し合いが気軽にできる雰囲気を備えた宿であった。
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小辺路を歩いて感じたことを簡潔に述べると以下のとおりであった。
1.小辺路は昔からあった地元の人々が使っていた道、商人が荷を運んだ道で参詣道として整備されたわけではない。従って中辺路や大雲取越のような参詣道としての雰囲気は殆ど無いと理解していないと、失望することになる。
2.道の大半は杉の植林地を通っている。変化に乏しく手入れ不足の暗くて生き物の気配が感じられない道を何日も歩いていると、自然とはなにか? と言う疑問に付きまとわれた。
3.歩いていて人と会う機会は少ない。歩いている人も少ないし、杉林の手入れをしている人達と出会うことも殆ど無い。
四国の遍路道が概ね街道を歩くのに対し小辺路は集落と集落を結ぶ山道なのである。4.その中で「果無集落」は、なんとも言えない素晴らしい雰囲気を漂わせていて、まさに天空の郷であり訪れてよかったと心から思った。
5.小辺路を歩いている間は山歩きしている気分、熊野古道とか熊野三山とか熊野の神々と言うものを身近に感じることはほとんど無かった。