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高野山町石道
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弘法大師のご母堂が大師を訪ね住んでいたという慈尊院、本堂のほか多宝塔や弥勒堂などもあって立派なもの。
ご母堂が住んでいた時、大師は一月に9度も高野山から降りてきたことからこの辺を九度山と呼ぶようになったと伝えられている。
もっとも一月に9度では最低一泊としても半月以上になるからとても修行どころでは無い。多分、頻繁に下山されていたという意味だと思う。
慈尊院多宝塔 町石道は左の階段を上がっていく
町石道は大門まで約20Km、奥の院までだと24Kmもある。
時間もかかるので急ぎたくなるが、ここが大事な出発点。
しっかりお参りして道中の安全を祈願した。
重厚な印象の慈尊院
慈尊院横の階段をあがると丹生官省符神社。
ここも廃仏毀釈以前は神様と仏様が同居していた所なのだろう。
町石道は文字通り一町ごとに立派な石の町石が立てられている。
慈尊院横に180町石、高野山壇上伽藍に1町石、その距離180町 19.6Km。
そして36町ごとに里石も立てられ、今何処にいるのか容易に分かるようになっている。
町石と里石が並んで立っている
歩き出すと道は田園風景の中をゆるやかに登っていく。
道の周囲は一面の柿の果樹園。
今が盛りと色付いた柿が枝に鈴なりだ。
色付いた柿の木
この九度山地域は柿の一大生産地らしい。
道沿いにあった無人販売所には完熟して柔らかくなったものが無料でどうぞと置かれていた。
一つ頂くとその甘さといったら驚くほど、北海道で手に入る柿は塾さない内に収穫するのだろう硬めでやや渋みがあるのだが、完熟した柿は甘く柔らかく本当に美味しい。
販売所でみかんを買い求め、無料の柿を2つ頂いて長い道中に備えた。
のどかな田園風景が広がる
少し高台からはたおやかに広がる田園風景や高野山口・九度山の町並み、うねった川の流れが見えるけれど、周囲を取り巻く低い山々には雲がかかり嫌な感じ。
何とか降らないで欲しいと空を見上げる。
やがて丹生神社への分岐点、本来なら高野山の守り神と言うからお参りすべき所だけど先が長いので勘弁させていただく。
ただこの辺りからアップダウンがほとんど無くなり平坦な道が続くようになった。
周囲は杉と檜の林に変わり、深山幽谷の世界。
ポツリポツリと雨が降り出し始めた。
深い樹林帯に阻まれてほとんど濡れることはないが、気分は滅入る。
努めて明るく振る舞おうと冗談を言い合ったり、甘いモノを口に入れたりしながら歩くがその場限りで長続きはしない。
晴れの予報は何処にいってしまったの?急に人声が聞こえ出したと思ったら、ゴルフ場だ。
ティーグランドのすぐ横を通ったりと、参詣道の気配は台無し。
ゴルフをしている人たちも私達の姿を見て不思議そうな視線を投げかけている。車の音が聞こえ出し、矢立と言うところで高野山道路を横切る。
ここには売店やトイレなどもあり良い休憩場所、小雨に濡れながら昼食をいただく。
ここから少し進むと大師が袈裟をかけたという「袈裟掛石」。
何ということ無い苔むした岩、ここから高野山の領域(清浄結界)に入るのだそうだ。
袈裟掛石
更に少し先には、押上石と言う少し傾いた大岩。
この岩の下を通ると縁起が良いと言うので、二人して通過する。
カミさんにチョッピリ岩を押し上げる演技をしてもらい記念撮影だ。
押上石
まだ午後1時前だというのに夕暮れのような暗さになってきて雨はいよいよ本降り、本格的な雨装備だ。
雨着を上下着込み、ザックカバーをし、カメラも防水袋に入れてザックに収納した。
お大師様へのお礼参りの気持で歩いているのに、戒めを受けているような、諭しを受けているような気分になり黙々と雨に打たれながらひたすら歩く。
四国歩き遍路をしてから4年、その間の行いが良くなかったのか?
自分自身では、それ以前より少しは人や物に感謝し優しく接することが出来るようになったと自負していたのだがそれが奢りだったのかな?大雨に打たれながら会話も途切れ、黙々と歩くと色々な雑念に襲われる。
モヤに霞む林、時折雲の隙間から見える峰々が幻想的だ。
薄暗く幻想的な町石道
鏡石を過ぎると道は高野山道路とほぼ平行するように山腹をトラバースしながら進み、やがて道路に飛び出したと思ったら雨に霞んだ大門がドッシリ大きく佇んでいた。
「来たな!」「来たわね!」 久しぶりの達成感、やり遂げた昂ぶりを感じる。
ハードさであれば今年だけでも芦別岳や武利岳のほうがずっとハードだったし、美しさであれば表大雪やトムラウシ・黄金ヶ原の方が美しかった。
それとは異質な、多分に精神的なものかも知れないが、雨にも負けずやり遂げたという高揚感なのだ。
それがお遍路の参詣の喜びなのかも知れないと思った。
高野山に上がると途端に人が沢山。
雨にもかかわらず大勢の人たちが大門や壇上伽藍を散策している。
朝から一組のパーティとすれ違っただけの私達は戸惑うばかり、珍しいものを見るような大勢の視線が痛いほどだ。取り敢えず金剛峯寺へお礼参り。
雨着やザックで廊下などを濡らさないよう配慮して参拝する。
雨の金剛峯寺
参拝後、襖絵やお座敷、お庭を拝見する。
価値など私には分からないが、どれを見ても心を打つ本物の凄さがある。
特にお庭には静寂の中に威厳さえ備わっている感じがして感動した。
金剛峯寺の石庭
蟠龍庭と言われる有名なお庭も拝見した。
どの角度からみても整っているし、雨に濡れた石の表情も美しい。
蟠龍庭
石庭と色付いた紅葉、清楚な建物がお互いを引き立て合い調和してなんとも言えない風情を造り上げて見事なものだ。
蟠龍庭
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金剛峯寺への参拝を済ませ今日の宿へ行く前に郵便局に立ち寄り、雨の高野山の町並みを少し散策。
高野山は丁度紅葉の真っ盛り、雨に煙る紅葉もなかなか良い物だ。宿坊「天得院」には日の暮れる直前に到着した。
天得院山門
宿坊には四国遍路の時に幾つか泊まったので抵抗感はない。
ただ高野山には沢山の宿坊があり何処がどうなのか皆目わからず、庭が立派ということで選んだのが「天得院」。訪うと若い坊さんが部屋へ案内してくれた。
予約では庭に面した和室のはずだったが、二階の庭の見えない広い二間続きの部屋だ。
しんしんと冷えきった部屋、ストーブもこたつも無い。エアコンを入れてもなかなか暖まらない。
団体客が泊まっているとかで、大広間に何十という御膳を並べて準備に余念がない。
驚いたことに坊さんは数少なく、アルバイトの女性が何人も働いていた。
個人客は私達だけらしい。庭が評判と聞いていたので案内と説明を期待したが、なしの礫。
仕方なく勝手に一階の廊下から少しだけ拝見する。
天得院のお庭の一部
楽しみにしていた夕食の精進料理だが、これも正直がっかりだった。
お膳の数こそ沢山だけど、素材の良さや工夫でもてなそうという気持が感じられないのある。
せめて熱いものは熱く、冷たいものは冷やして供するのが基本だろうに、温かいのは固形燃料でその場で炊いたうどんだけとはいささか情けなかった。団体客があったので仕方ない面もあるだろう、だが受け入れたのは寺であって私達が無理やり頼み込んだわけではない。
十分なもてなしが出来ると判断して受け入れたはず。
それなのにお寺の案内もなければ写経や朝のお勤めの勧めや説明もない、言わばほったらかしなのである。それも修行と思えば我慢できないわけではない、しかし宿坊としてやるべきことを何もしないでお金だけ一般の旅館以上取るようなことを続けていると、いつかお大師様の鉄槌を受けることになるのではないかな。
そんな不快な思いをし、夜中何度も目を覚ます寒さと闘いながら熊野古道初日の夜は更けていったのである。
翌朝、小辺路を歩き出す前に奥の院へ参詣。
昨日とは打って変わった良い天気、青空に盛りの紅葉が目に染みるようだ。
天得院山門で
金剛峯寺の山門も昨日は夕暮れの暗さに沈んでいたけれど、朝のさわやかな光りに包まれ絵葉書のような美しさだ。
金剛峯寺山門と紅葉
高野山一の橋から奥の院へと向かう。
しばらくは巨大な杉に覆われた大名家や貴族、大商人たちが眠っている一大墓地の中を進んで、弘法大師の御廟である奥の院へ。朝日が陽矢となり差し込んでいる中、厳粛な気分でお参りさせていただいた。
奥の院への道
世界遺産に登録されたせいか外国人の姿がとても目立つ。
この日、奥の院では日本人より外国人の姿のほうが圧倒的に多く驚いた。
日本を知ってもらうとても良い機会だと思うが、撮影禁止の奥の院でも平気で写真を撮るなどしている人が多い。
奥の院がどういう所か正確に理解していないからだと思う。
丁寧な説明看板を表示するなど周知に努め無用な摩擦をなくすよう努める必要があると痛感した。さあ、お大師様へ御礼のお参りも済ませた。
いよいよ、今回の旅の目玉である熊野古道を歩き出す。
高野山の美しい紅葉が背中を押してくれているようだ。
今が盛りの高野山紅葉
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