島松沢 散策

道央   2015.9.1(火)   晴れ


 

蓮

 

フットパス

フットパスは、森林や田園地帯・古い街並みなど昔からある、ありのままの風景や風情を楽しみながら歩く道のことで、イギリスでは大変良く整備され道が多く楽しまれているという。
日本でも近年関心を集め、特に気候風土がスコットランドに似ている北海道では市民グループの努力により整備が進んでいる。

今回私達が歩いた島松沢周辺もフットパスとして整備が進められているのだが、そのコースに少々私なりのアレンジを加えて歩いてみた。
ルートは図に示したとおりで、恵庭にあるルルマップ自然公園を出発点とし恵庭墓園から旧島松駅逓所を訪ね、島松川の左岸沿いを道道46号線まで北上、島松川を渡って右岸沿いを南下して出発地に戻るもので距離は約9.5Kmである。


コース
今回歩いた島松川沿いのルート(下の黒丸が出発地)

 

ギャップ

恵庭のルルマップ自然公園を朝7時に歩き出す。
この公園は多目的広場やパークゴルフ場、家庭菜園などがありかなり広い。
朝早いため、まだ誰も居ない公園は淋しげでポピーとお飾りのサイロがポツンと立っていた。

サイロ
自然公園のサイロとポピー

 

自然公園に隣接する恵庭墓園も大きな墓地だ。
幾つもの区画に分かれ、出来た時代によって墓石の種類や形が違うのも面白い。
こんなものにも流行り廃りがあるのだな〜。

ふと見上げる樹の葉が虫食いで網目になっている。
虫食い葉の傍らで朝顔が涼し気な表情で咲いている。
その落差も面白く、妙に納得させられる。

虫喰葉と朝顔
虫食いで網目になった葉と美しく咲く朝顔

 

墓園を過ぎると道央自動車道と国道36号線を高架橋で渡る。
高速道路と国道、朝の通勤の時間帯なのかどちらもものすごい交通量。
途切れることのない上下4車線づつの車の列と轟音。
歩いてきた道が静かだっただけに、そのギャップに驚かされる。
のんびり歩いている私達、不釣り合いな邪魔者扱いの気分である。

 

旧島松駅逓所

約30分で島松の旧駅逓所、明治6年に札幌本道(現国道36号)の開通に伴い設置されたと言う。
駅逓所は宿泊と運送の便を図るための施設で、開拓期の北海道ではその発展に重要な役割を果たしたという。

駅逓所
旧島松駅逓所

 

大きく堅牢、風格すら感じさせる立派な建物だ。
中は資料館になっているらしいが、早朝ゆえ見学はできなかった。

駅逓所の脇に小さな池があり、何と蓮が咲いていた。
思ってもいなかったので、とても嬉しい。

蓮
蓮の花

 

池に映る姿もなかなかで、たっぷり時間を掛けて楽しんだ。

蓮
蓮の花咲く小さな池

 

この場所は旧駅逓所としてのみならず、札幌農学校の初代教頭「ウイリアム・クラーク」が離任の際見送りに来た学生たちとの別れを告げた場所としても有名だ。

その際言ったと言われる「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious)」はあまりにも有名だが、その全文は?と言われるとエッ!なのではありませんか。

私も知らなかったのでちょっと調べてみました。

Boys, be ambitious.      (少年よ 大志を抱け!)

Be ambitious not for money   (お金のためではなく)


or for selfish aggrandizement,  
not for that evanescent thing  (私欲のためでもなく、名声という空虚な志のためでもなく)
which men call fame.

Be ambitious for the attainment 
of all that a man ought to be.  (人はいかにあるべきか、その道を全うするために、大志を抱け)

言った言わないを含めて諸説あるようですが、このように理解してよろしいのでは・・・。

蓮美しくも端正な蓮の花

 

蓮池のそばには、小さな水田跡のようなものが・・・。
北海道で始めての稲作、寒冷稲作の地なのだそうだ。
その功労者の中山久蔵を称える碑も立てられていた。


寒冷稲作
北海道で最初に成功した稲作の田

 

旧駅逓所は歴史があるだけに、木々も古く静かでとても荘厳な佇まい。
心洗われ厳かな気分になる場所でもあった。

 

休耕地

旧駅逓所を後にして島松沢の左岸を歩く。
この一帯の開拓が始まったのは明治維新前後と言われている。
島松川を挟んで幅400〜500mの谷底のような地形を島松沢と呼び、故郷と思って開発したのだろう。

ポツンポツンと農家があるだけ、人も車も通らない砂利道を行くと所々にオンコの木が数本づつまとまっている。
家が建っていたのではと観察すると、確かに家があっただろう平らな土地と周囲に畑だったのか荒れ地が広がっている。

川の近くだけに水利は良かったと思われるが、原野を切り開き畑にするにはどれだけの労力、苦労が必要だったのか。
喜びも悲しみも捨て大切で貴重な思い出までも捨てざるを得なかったのは何だったのだろう。
天候か、水害か、それとも経済力か?

休耕地だらけになってしまった島松沢を歩いていると、そんなことが頭からはなれない。
離農せざるを得なかった人々の思いとは裏腹に、島松川は穏やかに流れていた。


島松川
島松川の流れ

 

道から見えた一件の農家の納屋。
歴史と風格を感じさせる建物、入植した時に植えたのだろうか立派な松が歴史を物語っていた。

納屋
歴史を感じさせる納屋

 

道道46号線に出るとそこは激しく車が通り、今までとは異次元の世界。
その落差は、四国88箇所お遍路の時にも何度も感じたことを思い出した。

島松川を渡り、右岸沿いの道をのんびり南下する。
こちら側も所々農家があるが、ほとんどは荒れ地と化した休耕地。
からし菜や蕎麦が植えられているのは良い方だ。

からし菜
からし菜畑

 

出発地点のルルマップ自然公園に戻るにつれ、畑にはトラクターが動きまわり、牧草ロールが幾つも転がっている牧場が現れ、人気と活気が感じられるようになってホッとする。


活気が感じられる世界に戻ってきた

 

今回の島松沢の散策はその雰囲気のなせる技なのか、しんみり過去に思いを馳せ、辛かったであろう苦労の果てを垣間見た2時間半の散策ではあった。

 

オジロワシ歌壇

 

・寒地稲作(いなさく)の歴史刻める島松沢
        久蔵偲ぶか蓮紅く咲く

・入植者のたつき思えば哀しけれ
        休耕田にすすきは揺れて

 

 

 

 

 

Homeへ
Page Topへ
次に進む

 

 

 

 

inserted by FC2 system