山陰・山陽を巡る旅 第1.2日目 

 

奥琵琶湖、彦根城、観音様

2016.5.10(火)〜11(水)   雨

 


 

 

観音様
奥琵琶湖の観音様

 

 

退屈!

今回の旅の実質的な旅の始まりは、福井県敦賀からである。
苫小牧から新日本海フェリーで敦賀まで直行、約21時間と概ね一日掛かりではあるが寝ていれば車も人も運んでくれる。
船も1万5000トンと大きく往復とも揺れを感じる事はなかったし、レストランや劇場、お風呂もあり、寝室もプライベートを配慮したなかなか居心地の良い船である。

ただ貧乏性の私たちにとって一日中船内と言う狭い空間に閉じ込められた時間は、甚だ窮屈でありお世辞にも快適とは言えないものであった。
豪華客船で90日間世界一周の旅などが宣伝されているが、そんなもの私たちにとっては地獄以外の何物でもない。

フェリー
晴れていればデッキで気分転換も出来るのだが・・・(帰路撮影)

しかも船に乗っていた日は、一日中雨。
展望デッキにも出られない閉じ込められた空間、食事とお風呂を済ませれば映画を見るぐらいであとは二人で睨めっこをするか本でも読むしかやることがない。
「ア〜ア、退屈・退屈・・・!」

 

恐怖! 雨の夜の峠越え

退屈な時間をなんとか費やし、敦賀港に上陸したのは5/10(火)の午後9時。
翌日は伊吹山登山の予定なので、琵琶湖近くの道の駅「伊吹の里」まで夜のドライブだ。

国道8号線に乗り「彦根・米原」と書かれた案内表示に従って走り出す。
夜道のドライブなど最近したことない、おまけに雨が降っている。
敦賀市街地を抜けるとすぐに片側一車線の細いクネクネした上り坂が延々と続く、峠越えでもするのか?。
不安な気持ちでやっと登り終え下りに入ったと思ったら急カーブの連続、初めての道だから予測もヘッタクレもありゃしない、しかも街灯もなく真っ暗。
それなのに地元のドライバーなのか、追い越し禁止も何するものぞと追い越していく。

久々に恐怖を感じたドライブだった。
カミさんにも以心伝心で伝わったのだろう、「とっても怖いわ。途中に宿があったらそこで泊まらない?」
きっと手には汗、足を踏ん張っていたに違いない。
いつもならあまり好きではないトンネルが、平坦で照明もあるのでホッとしたぐらいだ。

峠を下りきってドライブインに車を止め、近場の道の駅を検索。
今夜の宿をより近い、道の駅「湖北みずとりステーション」に変更した。

 

伊吹山登山 断念!

道の駅で目覚めると雨、寝ている間も雨音で何度も起こされていた。
激しい雨ではないが雲は厚く垂れ込め止む気配は無い、伊吹山登山は諦めざるを得ない状況だ。

「どうしよう?」急遽の予定変更、額を突き合わせて相談するが名案など浮かびはしない。

琵琶湖
雨の琵琶湖

雨の奥琵琶湖を眺めながら、彦根城でも見に行こうか。
ふと、琵琶湖で亡くなった娘の鎮魂と自らの心の平静に奥琵琶湖に点在する十一面観音を巡るという井上 靖の「星と祭り」を思い出し、その内の幾つかを訪ねてみてもと思いついた。

彦根まで琵琶湖の東岸沿いに南下していく。
丁度新緑が美しく目に鮮やか、煙る琵琶湖とマッチしてまさに日本画の世界。
北国では見られない皐月ならではの日本の景観であろう。

琵琶湖
雨に煙る琵琶湖に浮かぶ小島

山歩きでは御免蒙りたい雨だが、そぼ降る湖畔のドライブは中々のものである。

 

国宝 彦根城

彦根城は徳川幕府の重臣であった井伊直孝が畿内近国の拠点造りのために築いた城だと言う。
この彦根近辺は織田信長の腹心であった丹羽長秀や秀吉の奉行だった石田三成が居城としていた佐和山城があったように近江支配の重要拠点であったのだろう。

日本に現存するお城は100以上あると言われているが、往時の天守が残っているのは12城。
その中の4城が国宝に指定されていて、彦根城はそのうちの一つという。

彦根城
彦根城天守閣(国宝)

彦根城佐和口門前の駐車場に車を停め城内へ。
立派な櫓が聳えている。(この櫓は国の重要文化財に指定されていた)
導かれるように進んでいくと入場券発売所、勧められるままに天守閣と玄宮園・彦根城博物館の三点セットを購入。

堀
彦根城 内堀に映る新緑

 

生憎の雨と思ったが、そぼ降る雨に包まれた新緑が輝くようで美しく歩いていて気持ち良い。
「春雨じゃ、濡れて行こう」の気持ちが分からぬでもない。

緩やかな坂道を上がり、大きな門を二つ越えると本丸広場に出た。

天守閣
天守閣

 

天守閣を登ってみる。
徳川時代からの姿を出来る限り残して保存しようとする配慮が感じられ、観光目的の天守閣とは全く異なる趣きだ。

まさに質実剛健「戦う城」

天守閣最上階からは琵琶湖や西岸の比叡山地が霞みながらも見えていた。

天守閣からの眺め
彦根城天守閣最上階から琵琶湖方面を見る

 

私はお城好きでもなければお城オタクでもない。
そんな私でもこの彦根城は凄いと思う。

決して威厳や格式を重んずる城ではなく戦うために考え抜かれた強固な拠点、その単純さがかえって美しさを醸し出しているように感じられた。

天守閣

 

天守閣から出て、細かにそぼ降る雨に濡れた城内を散策しながら西の丸の櫓を見物、とても良い雰囲気の木立に囲まれた坂道を下って再び内堀へと出た。

雨が降っている中なのに、城内の清掃を黙々と行っている人たちがいる。
話しかけてみると、控えめに適切な説明をしてくれる姿勢が清々しくて感じ入った。

内堀
内堀沿いの景観、遠くに東の山並み

 

玄宮園・楽々園

内堀と外堀に挟まれて藩主の私的な屋敷だった楽々園と庭園である玄宮園がある。

私邸の方はさして興味なかったのでパス、ただそのお庭は質素な中にも格式を感じさせるものがあった。



楽々園の庭

 

玄宮園は回遊式の庭園、藩主やお客様達が優雅にお庭を楽しんだのだろうと思うと何だか微笑ましい。

玄宮園
雨の玄宮園 天守閣が霞んでいる

 

この日は雨が断続的に降り続いていて、散策する人も少なく大変静かな中での庭園散歩を楽しむことができた。
煙る庭園はしっとりとして雰囲気も上々なのだ。

回遊式庭園としては高松の栗林公園も同じような趣旨で造られた庭園だと思う。
栗林公園は松と池が主題になっているのに対し、玄宮園はこの地方の木々と池が主題になっている。
どちらも素晴らしいと思うが、私個人はより自然の中に居る感じが強い彦根城の玄宮園が好きだな〜。

玄宮園
少し角度を変えて

 

ゆっくり散策していると、雨の中の散策なんてと思っていた気持ちがこれはこれで良いもんだなと思えてくるから不思議なものだ。

玄宮園
雨の庭園散歩もなかなかのもの

 

彦根城 博物館

彦根城見物の最後に博物館に立ち寄ってみた。

代々彦根藩主であった井伊家に伝わり残された美術品や古文書、刀剣などが展示されている建物。
幕府のトップである大老を何人も出している井伊家だから、さぞかし貢ぎ物も多く、日本中のお宝満載なのかと思ったが、地元の名品がメインのようだ。

まずは江戸時代に彦根で作り出された「湖東焼き」。
白地の陶器に赤絵や金彩を施した焼き物で、カミさんは興味津々、目を輝かせている。


赤絵の湖東焼き

 

展示室内は照明を落として落ち着いた雰囲気。
撮影禁止ではないがストロボと三脚はご法度、手持ちでは暗くて不安。ダメ元で撮影してみた。

湖東焼き
赤絵金彩の火鉢

 

湖東焼き
上品で美しい赤絵と金彩の器

 

甲冑や兜は刀剣とともに戦うための武器、でも太平の世が続いた徳川の時代では機能より自己主張のための美術品としての価値が大事だったのか?
でも見ていて格好良い!

甲冑
朱漆塗の甲冑

 

正直、お城見物は雨で伊吹山登山を断念せざるを得なくなったための代替え手段であったのだが、とても素晴らしく見直してしまった。
お城や付属する庭園、所有する美術品、いずれも一級品ぞろい。
思い込みは捨てて、機会があれば見聞を広げて行くのも良いものだと思った。

 

魅せられた! 美しすぎる 観音様

満足した彦根城を後に琵琶湖の湖畔に幾つもあるという、観音様を見に行く。
だけど、どこに行けば良いのかさっぱりなのだ。
かすかな記憶では琵琶湖の北東付近だったはず、とりあえず長浜市へ向かってみる。
国道脇に「観音の里」「○○寺」と言う案内表示看板が目立ち始め、高月町のJR駅の地図に何ケ所かの観音様のお寺を見つけ出すことができた。

その中から選んだのが、駅からすぐの所にある渡海寺。

渡海寺
渡海寺観音堂

 

受付には揃いの黒のスーツ姿の男性が数名、拝観をお願いするとお堂に案内してくれ鍵を開けてくれた。

お堂の扉が開けられ入った瞬間、立ちすくんでしまった。声も出ない。

真っ黒な観音様がスックと立っておられる。

目は観音様に釘付け、体が動かない。カミさんも同じらしく息遣いさえ聞こえない。
金縛り状態とはこんなことを言うのだろうか?

美しすぎる、気品がありすぎる、それなのに優しい、色気が香り立っている。

観音様
十一面観音 (購入した絵葉書から)

 

案内の方が要領よくこちらの理解度を確かめるように色々説明してくれる。

自分の無知ぶりが恥ずかしい思いさえしたが、何より観音様のえも言われぬ素晴らしさに一方ならぬ感銘を受けてしまった。
国宝と聞いて、立ちすくんだ自分の感性もまんざらでは無いと納得だ。

観音様
観音様の後ろ姿 (購入した絵葉書から)

この観音様は戦国時代、織田・浅井の戦火に巻き込まれ寺が炎上し、その際に村人たちによって救い出されしばらく土の中に埋められて難を免れたそうだ。
しかし寺は再興されず寺領は没収されて廃絶してしまったため、村人たちがお堂を建てお祀りしてきたそうである。
それなのに何故、渡岸寺十一面観音と言うのか?

焼けて廃絶してしまった渡岸寺があったことからこの付近一帯を渡岸寺という名にした。
「渡岸寺という里にある観音様」と言う意味なのだそうだ。

観音様
購入した絵葉書から

 

30分近く丁寧な説明を頂きながら細かに拝観させていただいた。

少々インドやガンダーラの美術様式に影響されたような彫りの深いお顔、人々を救おうと一歩前に踏み出されようとしているかの優しげな姿、豊麗でエロティックささえ感じさせる姿態。

観音
観音様の正面姿 (購入した絵葉書から)

偶然にもお逢いできた幸運に感謝である。
拝観受付所でお礼を申し述べながら、これまで購入したことなぞ無い観音様の写真を求めてしまったほどだった。

 

渡岸寺の受付の方に紹介してもらい、同じ高月町にある大円寺の観音様に会いに行く。
こちらも住職はいないそうで、連絡と受けた近所の人が鍵を開けてくれる。
こちらの観音様は十一面千手観音でひたすら優しい素朴で豊満な観音様。

大円寺
高月町 大円寺

案内の方のお話を聞いていて、吹き出してしまった。
それは明治の終わりごろ、この観音様を国の重要文化財に指定しようという動きがあり、感激した住民たちはせめて汚れを落とし綺麗にしてさしあげようと観音様を洗い清めたと言う。
ところが再調査では白木と化した観音様は評価されなかった、理由は文化財として風格や歴史を感じさせる価値感まで洗い流してしまったからと残念そうに話したからだ。

確かにありそうな話ではある。
先ほど見てきた彦根城だってコンクリートを使って大規模に修復し白ペンキで塗りたくったら国宝には指定されないだろう、でも自分の身の回りであれば綺麗に洗い流して良く見せようと思うのは人情であろうから・・・。

 

熊川宿

高月町で観音様を拝観している間に雨は小降りになり、止んだようだ。
明日は天橋立から伊根の舟屋、鳥取の浦富海岸に行く予定なので、今日は舞鶴近くまで行っておきたい。

その途中に若狭街道または鯖街道と呼ばれている道があり、昔ながらの風情を保っている「熊川宿」がある。
そこを経由して行こうと熊川宿へ向かう。

熊川宿
再興された熊川宿の街並み

 

雨上がりの熊川宿の街並みは昔ながらの風情を残し、整然と整備されていた。
雨の平日の午後ということで、人通りはなく閑散としている。

熊川宿
熊川宿

ここに来たからにはと、名物「鯖寿司」を食べる。
鯖寿司と焼き鯖寿司があり、二人で半分づつ。
やはり名物は名物、鯖自体が美味しい(近海ものだから当たり前と言われた)。
どちらも美味しく完食だが、私は焼き鯖寿司の方が好みかな。

食べ終わって熊川宿を出る時、雨が止んだ裏山から靄というか雲がわき立ちとても良い気配。
明日は晴れるかな?

裏山
雨は止んだよう、明日は晴れるかな?

 

この日は終日雨だった、でも伊吹山登山を諦めて訪れた「彦根城」も「渡岸寺地区の観音様」も「熊川宿」も、雨ならではのしっとりさでとても美しく、雨の日の散策も良いものだと思わせられた。

明日は景観を楽しむポイントを訪れる予定、是非とも晴れてもらいたい。
そんなことを念じつつ、福井県高浜で温泉に入り京都府舞鶴の道の駅で一夜の夢を結んだのだった。

 

 

オジロワシ花壇

 

・カーフェリー航跡描き南下する
         昨日と違う二人の時間

・敦賀から地図をなぞりてゆく旅は
         お日様まかせ気の向くままに

・しなやかな立姿なり観音は
         扉の内に伏し目がちなり

・乱世を越えて観音穏やかに
         手を差し伸べる一歩踏み出し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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