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今日は旅の楽しみにしている所の一つ、秋山郷を訪れる。
展望が何よりのご馳走だから、ぜひ晴れて欲しい。
道の駅「さかえ」で、0430に起床しお天気を確認。
曇り空でテンションは下がり気味だけど雲が薄い所もあり、わずかな望みも・・・。
雲が遠慮してくれることを願いつつ、簡単な朝食をとって秋山郷へ車を走らせる。
秋山郷
秋山郷は鳥甲山(2037m)と苗場山(2145m)に挟まれた中津川渓谷に点在する幾つもの集落の総称、南北約20Kmに及び独特の文化や生活様式が守られてきた秘境とも呼ばれていた所。
源氏に敗れ草津に逃れていた平家の残党がさらに秋山郷まで逃げ、住み着いたとされ平家落人伝説の里としても知られている。
わずかな時間で長い歴史と文化を持つ秋山郷の全てを見るわけにはいかない。
私たちの望みは、第一に鳥甲山(トリカブトヤマ)の勇姿を存分に眺めたい、そして第二に秘境秋山郷の持つ雰囲気のごく一部でも感じたいと思っている。
天池
中津川渓谷沿いの狭く曲がりくねった道を慎重に走り、時折現れる数軒規模の集落をいくつも抜けて南下、「のよさの里」集落から自転車ではとても登れないほどの坂道を喘ぎ喘ぎ登っていく。
贅沢な造りの離れ湯の宿を過ぎれば、まもなく目指す天池だ。
肝心の展望は? お天気は?
車の中から中津川渓谷西側の山々にかかる雲が少しづつ取れ始め、中腹から山頂部にかけて残っているのは見ていた。天池から見るとさらに雲は薄くなり、待てば期待していた大景観が見られそうな気配である。
雲も取れそうな気配 しばらく待とう
はやる気持ちを抑えながら、池のほとりをぶらぶら散策。
草地にある白い点々が気になり、見てみると薄青色のキクザキイチゲである。
まだ薄暗いので開花しているものはないけれど、間違いなくキクザキイチゲ。
その他ニリンソウなども至る所にあり、山野草の豊かな所なのがよく分かる。明るくなり、願っていた雲も概ね取れた。
池に映る鳥甲山は、想像していた以上に素晴らしい。朝の天池に映る鳥甲山
池にも木々にも朝日が差し込むのを待って、存分に大景観を堪能する。
天池からの鳥甲山池に映る空と白樺が、鳥甲山を引き立てている。
こういう景観を見ていると、登りたいという気持ちが疼くように高まる。
期待した景観に大満足
少し角度を変えて、もう一枚。
雲は完全には取れないけれど、これはこれでとても良い表情だと納得。
幸運に感謝しつつ、景観を堪能
大瀬の滝
天池に映る鳥甲山の姿に酔いしれた余韻を残しつつ、少し北上し小赤沢地区にある大瀬の滝へ。
小赤沢地区から苗場山の登山口へ通じる山道を登っていく。
ふと大きな滝音に気付き車を降りてC'Kすると、そこが大瀬の滝。危うく通り過ぎて苗場山の登山口まで行ってしまう所だった。
大瀬の滝
車を停めた所から滝へはかなり急な斜面を降りなくてはならず、わずかな距離だがカミさんを確保して慎重に降りた。(本来の駐車場は手前にあり、そこからは安全に行ける)
昨日からの大雨で、凄まじい勢いで流れ落ちている。
落差は15mほどだが、近づくと水煙で濡れてしまうほど。
凄まじい勢いで踊り狂ったような大瀬の滝滝壺に落ち込む水は、盛り上がり逆巻き、凄まじい勢いで踊り狂っているよう。
思わず後ずさりしてしまう迫力で怖かった。
小赤沢地区 散策
秋山郷の集落の中では一番大きい小赤沢地区。
秋山郷総合センターがあり、民俗資料などが見られるそうだがまだ開館前の時間で入れなかった。
地区を少し歩いてみたら、茅葺民家が見学できる所があり地域の方達の暮らし向きを多少だが理解することができた。
昔ながらの民家家々の庭と言うか家庭菜園にはギョウジャニンニクやアズキナ、ウドなどの食べられる山野草が植えられ、常食の野菜として育てられている。
食料の厳しさに備える為だと思うけれど、今現在もそれが営々と続けられていること、その労苦と手間を厭わない姿勢に感動を覚えた。ここ秋山郷も桜が咲き春爛漫、この時期だけかも知れないが心安らぐのびのびした時間が流れていた。
見倉橋
さらに北上、結東地区にある吊り橋「見倉橋」。
その途中、苗場山が望める場所があった。
どれが? よく分からなかったが谷のはるか遠くに先端だけ見えるのが苗場山らしい。
秋山郷中津川渓谷の風景
苗場山は谷の遥か先、山頂部だけがポツンと白く見えそうな見えなさそうな
結東にある広場に駐車、ちょうど地区の住民総出の「道普請」お掃除が行われていた。
私が住む地域でも似たような行事が行われているが参加する人は年々減少している。
それに比べてここ秋山郷では全員参加が根付いている模様、これも伝統なのだろう。皆さんと挨拶を交わしながら川へ降り、歩いて10分ほどの見倉橋へ。
見倉橋なかなか雰囲気がある木製の吊り橋、秋山郷の宝石とも言われているそうだ。
本来ならこの橋から眺める渓谷美も素晴らしいのだろうが、この日は凄まじい濁流と水音に圧倒され、吊り橋を渡るのも怖々であった。
凄まじい水量、ちょっぴり怖い
見玉不動尊
秋山郷の最後は津南町に近い見玉地区にある見玉不動尊。
地域の氏神様なのだろう、ひなびた造りで私の好きな感じのお寺さんだった。
児玉不動尊帰り際に昔から眼の病いに霊験あらたかと聞いて、最近疲れ目のひどい私は再度お参り。
にわか信心では、お聞き入れくださらないかな?
わずか半日だったが、秋山郷は確かに隠れ里というか秘境というイメージにぴったりの里だった。
平家の落人伝説と言うと、眉唾ものも多いと聞く。だが秋山郷はそんな風説を信じさせる何かがある。
見つかれば追っ手が来たり迫害を受けるかもしれない環境下、人里離れた地域を選んでひっそり生活してのだろう。
そして次第に住民に溶け込み、知識を広めたり生活を工夫して普及し、信頼を得ていった頭の良い集団だったのだろう。これを機に、平家落人伝説について少し勉強してみたいと思った。
阿弥陀堂 (飯山市)
信州山見旅と言いながら、これまでは新潟を旅してきた。
ここからが信州・長野の旅である。さて古刹の雰囲気は好きだが信仰心は皆無に近い私、なぜ阿弥陀堂を選んだのか?
それはネットで正受庵や小菅神社と共に、感動を呼ぶ素晴らしい場所だと激賞されていたからである。
全部見て見たいが時間はそれほどない。それでエイヤッと選んだのが、阿弥陀堂。検索した電話番号をカーナビに入れ出発、着いた所はなんと飯山市役所。
あれ?と思い、尋ねようとしてもこの日は日曜日で役所はお休みだ。
近くにあった図書館で恐る恐る、聞いてみる。職員の方達、名前は知っているけど場所は知らないみたい。
それでも概ねの場所を聞き出し、探してみることに。(本来なら、ここで何か変だなと感じるはず・・・場所を聞き出すのに夢中になっていた)飯山市街地から北東の山懐に阿弥陀堂はあった。
集落を抜けた小高い空き地が駐車場になっている。
不安だった気持ちが、すでに停まっていた3台ほどの車を見て和らぐ。
阿弥陀堂近くからの景観小さな案内看板には、万仏山三十三観音と書かれており3Kmほどあるらしい。
そして歩いて1Km弱の所に、阿弥陀堂の記載。よかった〜、ゆるい坂道を歩き出す。
周囲はのんびりした田園地帯、道の所々に観音様が立っている。
振り返ると、飯山市を流れる千曲川がのどかな景観を見せ、その向こうには斑尾山らしき山と雲に隠れた雪山がわずかに見えている。案内表示に従い道から外れ阿弥陀堂へ、小さなお堂か民家のような建物を過ぎると三部社と書かれた石碑があり杉の参道が上へ伸びている。
参道が伸び、上にお堂がまずはお参りとお堂の前に進む。
阿弥陀堂と思っていた
するとお堂の横に、正装の男性10名ほどが車座になって酒盛りの真っ最中。
なんでも地域の春祭り、各家長が一同に会して宴を張っているのだそうだ。
「お祭りだ。食べていけ」と強く招かれ、断るのも失礼とお参りしてからご馳走になった。
強く勧められ、宴の一角に
話を伺いながら私たちが北海道から来たというと、「ここも雪は2mも積もるが北海道はもっと厳しいのだろう、よく来てくれた食べろ食べろ」
阿弥陀堂の話を向けると、「映画撮影の時はセット作りや撮影隊の世話などで大変だった」と言いながらも楽しそう。
だんだん頭の整理が出来てきた、阿弥陀堂というのは映画で使われたセットのことらしい。映画の撮影地を見にいくのが流行っていると聞いたことがあるが、どうやら私たちはそのミーちゃんハーちゃんになっているのだ。
破れかぶれで、村のお父さんに「映画に出演されたのでは?」
お父さん、嬉しそうに「そうだ、オレは映画に出たんだぞ」
「その出演料が今日のご馳走になっているのですね」
などなど、大笑いの楽しい時間を過ごした。いやはや、とんだことになってしまった。
とんでもない勘違いに、苦笑いするだけの私だった。
これが映画 「阿弥陀堂だより」で使われたセット
とんでもない間違いを犯してしまったが、この小高い地はほのぼのしていてとても良いところ。
段々畑と見下ろす千曲川、その向こうに広がる山々を眺めていると、気持ちも晴れ晴れ大きくなる。
映画のロケ地に選ばれただけのことはある、美しく豊かな土地なのだ。
伸びやかな田園風景ここまで来たら万仏山にお参りしなければならないのだろうが、観音様にお許し願って次の目的地へ向かうことに。
観音様にお許し願って
「豪商の館」 須坂・田中本家 及び 小布施・高井鴻山記念館
千曲川沿いを結んでいた谷街道、小布施から飯山の藩の運営や経済活動に大きな役割を果たしたに違いなく、豪商と呼ばれた商家があった。
須坂では田中家、須坂藩の財政を上回る財力を持ち、莫大な経済援助の代償として苗字帯刀の許しを得ていたと言う。
博物館には多くの展示品があり目を引くが、暗に殿様より偉かったとか庇護したとのニュアンスが感じられ、お金持ちの傲慢さが少々鼻についた。
唯一、私が評価したのは子供の端午の節句人形。
子供に対しては、優しさに満ちた態度を見せたのだと安心する思いだった。
子供に与えた節句人形
小布施では高井家、地元の藩に対する援助に止まらず、江戸や京、大阪、瀬戸内などにも進出して大規模な商活動をしていたようだ。
そこに生まれた高井鴻山、芸術に関心を持ち芸術家、特に葛飾北斎に臣従し師弟関係となり金銭的支援を行うとともに自らも絵画製作に勤しんだそうだ。
北斎が小布施で作成したという作品
北斎の指導を受け、高井鴻山が作成した作品
小布施の街並み
小林一茶記念館及び旧宅
時間が押していたが、黒姫山の麓にある小林一茶記念館と旧宅まで足を伸ばした。
山頂は雲に隠れているが、一茶記念館から見た黒姫山一茶といえば今でも知らない人は居ないほど有名は俳人、彼の歴史を見て親類縁者との不仲、家庭的不和、経済的困窮などの事実を知って驚いた。
不幸に包まれながらも優しさに溢れた俳句を数多く作り、多くの俳人を指導する情熱を持ち続けられたのは何故か、色々考えさせられた記念館での時間だった。
近くにある旧宅にも行ってみたが、名声を馳せた俳人の終焉の場が小さな破れ土蔵だったのを知って声もなかった。
一茶、終焉の家
戸隠神告げ温泉
明日は、晴れていれば戸隠連山を鏡池から眺めたいと思っている。
そこでこの日は戸隠の神告げ温泉で過ごそうと思っていた。到着して入浴と食事をお願いすると、入浴はできるが食事はもう終わっていると告げられる。
私が得ていた情報では午後10時まで営業となっていたので、びっくり。
お願いしておにぎりなら可能かと聞くと対応してくださるとのことで一安心。入浴し疲れを取ってから、戸隠神社奥社の駐車場へ移動し、おにぎりと持っていたインスタントラーメン、フルーツで食事、今回一番の貧困メニューである。
豪商さんたちを馬鹿にしたしっぺ返しと納得しながらずるずるラーメンをすすった。