モルゲンロートのチャクララフ東峰
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旅の第1日目はペルーへの移動である。 ただ、ここで移動の細部をグダグダと書き連ねても面白くも可笑しくもない。 そこで今回のアンデスの旅を思い立ち・実行するまでのキーポイントとなった何点かを書き連ねておきたい。 |
アンデスの山々を見に行くと一言で言っても、アンデスは全長7500km、6カ国に亘っている。
とても全部を見て歩くわけにはいかない、短期間で見る為には場所を絞り込まなくてはならないのだ。
日本に置き換えれば、北アルプスにするのか、南アルプスか、日高山脈なのか大雪なのか、北アルプスにするのであれば立山連峰を中心にするか後立山連峰にするか、それとも穂高連峰かを、まず決めなくては、1週間や10日で見て回る事は出来ないのである。そこでまず5000m・6000mの山々が集中している地域をピックアップしてみた。
チリ/アルゼンチン・アンデス
・アコンカグア (6960m) アンデス最高峰
・オホス・デル・サラード (6880m) アンデス第2位
・トゥプルガト (6800m)
・メルセダリオ (6770m)
・ユヤイヤコ (6723m)
アコンカグア(インターネットより)
- ボリビア・アンデス レアル山群
・イリマニ (6439m)
・ハンクマ (6427m)
・イリャンプ (6368m)
・ワイナ・ポトシ (6088m)
・チャチャクマニ (6000m)
イリマニ(インターネットより)
- ボリビア・アンデス その他
・サハマ (6549m) ボリビア最高峰
・パリナコタ (6348m)
・ウトゥルク (6008m)
- ペルー・アンデス ブランカ山群
・ワスカラン (6768m) ペルー最高峰
・ワンツァン (6395m)
・ワンドイ (6395m)
・チョピカルキ (6345m)
・チャクララフ (6112m)
・アルパマーヨ (5947m)
アルパマーヨ(インターネットより)
- ペルー・アンデス ワイワッシュ山群
・イェルパハ (6632m)
イェルパハ
- ペルー・アンデス その他
・コロプナ (6425m)
・ミスティ (5822m)
- エクアドル・アンデス
・チンボラソ (6310m)
・コトパクシ (5896m)
チンボラソ(インターネットより)
- コロンビア/ベネズエラ・アンデス
・ウィラ (5750m)
・ネバド・デル・ルイス (5389m)
・トリマ (5215m)
・ボリバル (5008m)
どうやらペルー、ボリビア、チリ/アルゼンチンの3地域、その中でもボリビアのレアル山群とペルーのブランカ山群及びワイワッシュ山群に魅力的な山々が集中して連なっていて有力な候補地である事が判明した。
またアンデスの山々を堪能する事が目的だけど、南米など早々訪れられる所ではない。
折角行くのだから、見れる可能性のある観光地などがあれば是非寄ってみたいとも思う。
その候補としてはマチュピチュの遺跡、インカ道、チチカカ湖、イグアスの滝・・・など。勿論、命あっての物種だから、政情不安で危険な国・地域はどんな素晴らしい山や見所があっても遠慮したい。
これらを総合すると私の希望を満たすアンデスの旅は、「ペルーかボリビアの山々を訪ね、出来れば近くの観光地を巡る旅」というものが有力な候補として浮かび上がってきた。
次はどのような形式のツアーにするかである。
語学に自信があり、目的地の状況にも明るければ、自分で調べ自分で計画して旅をするのがもっとも自由で良いのは判っている。
しかし自慢にもならないが、スペイン語や現地のケチュア語は皆目分からないし、南米の事など何も知らないではお話しにならず、どこかの旅行社が計画するツアーに乗るのが私にとって最良な選択なのは自明の理であった。現地の旅行社のツアーに参加する方がかなり安く行けると判ったが、信用度や国民性、トラブル発生時の対処、語学力等を考えると、初めてだけに二の足を踏む。
そこで日本の旅行社のツアーを検討してみた。
調べてみると、風の旅行社、アルパイン・ツアー社、ノマド社が私の希望に概ね沿ったツアーを計画している事が判った。
この中で一番私の希望に近いのは「風の旅行社」、次いで「ノマド社」、「アルパイン・ツアー社」の順であった。
前2社はペルー・フランカ山群のトレッキングとマチュピチュ観光、インカ道トレックがセットになったもの。
アルパイン・ツアー社はブランカ山群トレッキング、もしくはブランカ山群を車で移動しながら絶景ポイントを巡る旅で、マチュピチュ観光やインカ道トレックは別の企画とされていた。他方、風の旅行社のツアーは気配りが行き届いているのがとても魅力なのだが、価格もそれなりでお高い。
ノマド社のは風の旅社と同等の計画で価格も手頃。アルパイン・ツアー社はその中間と言った所か。
迷っているうちに、ノマド社は現下の世界同時不況の情勢から参加者が見込めないと早々にこの企画を取り下げてしまった。さて、どうしよう。
理想と現実とのせめぎ合い、散々悩んだあげく妥協し出した結論は、極めて現実的なお財布と相談したプランと合いなった。すなわち、アンデスの山々の勇姿をじっくり・そして色々な角度から何回も眺められれば良しとする。
マチュピチュ等の観光地は諦める。
その為には、朝から晩まで見所から見所へ次々に連れて行ってくれると言う価格的にもリーズナブルなアルパイン・ツアー社の企画する「ペルー・アンデス・ブランカ山群、絶景撮影と展望の旅」に決めたのである。
ツアー会社と契約を結び、旅行傷害保険に加入、契約外の千歳〜成田便も予約した、お金も円高が進んだ時に米ドルへ換金した。
そんな中、2009.4頃からメキシコで広まり出した新型(豚)インフルエンザが、アメリカはじめ各地で急速に猛威を振るい出し、5月には日本にも飛び火して大騒ぎになった。
ペルーはメキシコにも比較的近い、アメリカにも中継地として立ち寄る、今回の新型は毒性が弱く罹っても然程心配ないとされたが、やはり怖い。
そのため、かかりつけのクリニックにお願いして、インフルエンザ治療薬「タミフル」、抗生物質「ジスロマック」、それと高山病予防薬「ダイアモックス」や「食あたりの薬」を処方してもらい持参した。
もちろんマスクも。
アンデスへ出発の10日前、5/20(月)の早朝、私は芦別岳(1726m)の登山口に居た。
「北海道のマッターホルン」とも「北の槍ヶ岳」とも「芦別の牙」とも呼ばれる岩峰、その山頂へ真っすぐ突き上げる本谷を登ろうと思ったのだ。
この時期は雪も落ち着き、小さなブッロク雪崩や落石の危険は多少あるものの大きな雪崩の心配も少なく、さらに雪が溶けると1時間以上の厄介な高巻きを要求されるゴルジェもまだ雪に埋まり難なく通過できるのである。
芦別岳(8月撮影)
歩き始めて約40分、チョットした段差を降りた時である。
「ド・カ〜ン!」「グア〜〜ン!」 痛い〜! 何が起きたのだ、動けない。
抱えていた左膝の古傷爆弾が炸裂したのである。
何もよりによって、こんな時期に・・・。
足を引きずりつつ歯を食いしばり2時間以上掛けて登山口へ帰り、病院へ。
先生曰く「即入院、そして手術!」アンデス行きを先生に申し述べ、何とか間に合うよう治療して頂けるようお願いした。
半月板損傷との事で、半月版の損傷部位を取り除き整形するとの事。
内視鏡写真を見せてもらうと、損傷部分はギザギザに引き千切られたようになっていた。
先生やスタッフのお陰で1週間の入院で退院することができ、一時は諦めざるを得ないと覚悟したアンデス行きが行けるようになったのは不幸中の幸いであったのだ。
上野先生、スタッフの皆さん、有り難うございました。
お陰様で念願のアンデスへ行けました、ツアー代金50万円もパーにならずに済みました。
6/1(月)1330、成田に集合したのはツアーリーダー以下7名。
ツアーリーダーのUZさん、千葉のTSさんご夫婦、栃木のIEさん、埼玉のKTさん、愛知のKNさん、そして私の7名である。
ツアーリーダーのUZさんは添乗員に良く見かけるハイテンションの世話焼きタイプではなく落ち着いた経験豊かな方、参加者の方も一名を除いて年金・リタイヤ組で海外へ何回も行かれている旅慣れた方達ばかりである。
簡単な自己紹介と出入国審査書類の作成、注意事項の説明等を受けて成田を後にする。
まずはコンチネンタル航空でアメリカのヒューストンまで、所要時間は約12時間。
とは言っても成田を6/1の1550に出発しヒューストンに着くのが同じ6/1の1530(現地時間)、時差とはいえ何かおかしな気分である。機内はエアコンが効きすぎ寒い位、薄い膝掛け用のブランケットが配られているがそれだけでは寒くて耐えられない。
私は機内手荷物に薄手のダウンジャケットを持ち込んでいたので助かった。
乗客にはテキサス人なのか太った人が多く、彼らの体感温度に合わせているのかも知れないが要注意である。食事は正直言って余り美味しくないが量は多い、食事の間にスナックやアイスクリーム・飲み物なども配られ、体重が心配になるくらいである。
私の隣に座っていたかなりスタイリッシュな若いアメリカ女性は食事の度ブランケットを頭から被り、寝た振りをして食事をとらなかった。
スタイルの維持には並々ならぬ努力が必要のようだ。アルコールは種類を問わず一杯5ドル、お酒好きからは高いと評判が悪いようだが、そのせいか機内で大騒ぎする人も居らず酔っぱらい対策の一面もあるのかなと感じた。
お尻が草加せんべいのように堅くしわだらけになる頃、やっとヒューストンへ着いた。
なんでも大きく一番が好きなアメリカらしく、とてつも無く広く大きい空港である。
空港内の別のターミナルへ行くのにモノレールに乗らなければならなければならないほどなのだ。さて、評判の悪いアメリカの入国審査である。
これでもかと言うくらい時間をかけた入念なC'Kが行われ、何人もの人が書類の書き直しを指示されたり、質問に答えられなくて戸惑っている。
広く何十もあるブースだが長い人の列が出来、あちこちからため息が聞こえてくる。
私達の書類はアルパイン・ツアー社がすっかり整えてくれていて万全だ。
私の前に居たイタリア系のご夫婦は何があったのか、10分近くも係員とけんか腰でやり取りをしていた。
やっと私の番が回ってきた、挨拶代わりに「テキサスは人も空港も大きいね」と一言、係員ニッコリ笑って「セニョールはペルー旅行ですか?」と聞くので「アンデスの山へ」と言うと「あんたの齢で大丈夫か?」「俺の体重は貴方より軽いから平気さ」 この会話で後は何も聞かれず審査完了となった。次は出国審査である。靴まで脱がされて徹底的な検査が行われ、私達の一人も荷物を開かれC'Kされた。
世界の常識から外れてまで、こんなに厳しい審査をしなくてもと感じざるを得ないやり方に、アメリカの傲慢さの一端を感じさせられた一場面であった。この出入国審査に2時間以上かかり、ペルー行きのゲートへ行くとすでに機内への乗り込みが始まっていて、滑り込みセーフの感じであった。
ヒューストン空港
ヒューストンからリマまでは同じくコンチネンタル航空で約7時間半、メキシコ湾を南下して中南米を横切り太平洋岸に出、リマへと向かう。
赤道を越えるのを楽しみにしていたのだが、アナウンスもなく知らないうちに通過してしまった。
機内でジャンプでもしようかと思っていたのに残念であった。
南米の方が多いせいか機内はラテンの雰囲気が感じられ、明るく賑やか。リマはあいにくの霧模様、然程暑くない。
こわばった筋肉とお尻の痛さ、寝不足でボ〜とした頭が地球の反対側に来たのを実感させてくれるようだ。
アメリカと大違いなのは簡単な入国審査、おおらかでお国柄を感じられる。
お客様を迎える所なのだから、入国審査は基本的に「ようこそ」の姿勢が当たり前なのではないか。
アメリカのやり方は自分さえ良ければ良く、自分の言う事は何でも正しくて人の言う事は信用しないと言う大国ならでは傲慢さがあからさまに出ているように感じられ、素直に受け入れられない人が多いのも頷けると感じた。リマのホテルは空港の目の前、機内と違いゆったりしたベットでのびのび足を伸ばし、明日からのアンデスの山旅を夢見つつ、ぐっすり休んだ。