まとめ 

(アンデスの山旅を振り返って)


 

やま

今回、私が訪れたアンデスの山々。
長年心に温めていた願いを存分に満たしてくれた、豊かな満足すべき旅となった。

この旅に出かけられたのは、何も自分だけの思い、力ではない。
家族の理解、健康を始め、幾つもの幸運に恵まれたからに他ならない。

ツアー会社の企画に乗ったのだが、それが良心的で堅実なものだった事もある。
ツアーリーダーが優秀な方だったお陰もあろう。

以下、この旅を振り返って、気付き感じた点をまとめておきたい。

 

大満足

山登りが趣味の私は日本の山々が大好きである。
でも、海外にだって素晴らしい山が沢山あるに違いない、井の中の蛙から飛び出してみようと思ったのだ。
そのなかでも昔から興味があり、訪れてみたかったのが、アンデスの山々だった。

今回、アンデスの山々を出来る限り、この目で見てみたいと言う私の希望は100% いや120%満たされたと言って良い。
お天気に恵まれたせいもあるが、計画された全ての山をこの目で確かめることができた。
単にアンデスの山を見ただけでなく、山と話をし山座同定も行い、関係位置も把握できた。
ますますアンデスの山々に魅入られてしまった。

目的の達成度からは、本当に大満足の旅であった。
そして関係してくれた全てに感謝である。

はな

 

ツアー

初めての国、知らない土地、言葉も判らない。
こんなことから、企画されたツアーへの参加という方法を選択した。

どこの、どんなツアーに参加するのが良いのか、難しい選択であるが今回に関しては正解であったように思う。
多くの山を違った角度から何回も訪れることができると言うのが、参加した「ブランカ山群・絶景撮影と展望の旅10日間」のうたい文句である。

だが全て私が想像していた通りだったかと言えば、それは違う。
このツアーの本質は撮影会であった。
正直、写真家ではない私には戸惑う事も幾つかあった。
しかし、それはそれと割り切る事で大きな障害とはならず、かえって私の知らない撮影術を教えて頂くというおもわぬ特典まであった。

一般的にツアーを選定する際には、勝手に思い込まずツアーの目的・性格をしっかり理解し把握する事が大切であろう。
例えば、撮影会でもプロの先生が教えながら行くツアーもあれば、今回のように場所を幾つもツアー会社サイドで案内し撮影は参加者の自主性に任せるタイプもある。
トレッキングでも、参加者が常に一塊になって行動するタイプもあり、一定の区間を勝手に自由に歩くタイプもある。
どれが自分の希望に一番近いツアーなのかを調べ、選定する事が、後悔のないツアーを選定する鍵であると思う。

はな

 

仲間意識

ツアーには多くの人が参加する。当然色々な性格・考えの人が参加する。
初めて出会い、何も知らない同士で行動を一にするのである。

そこには一定の守るべきルールが存在すると思う。
無遠慮でもいけないし、遠慮しすぎても息が詰まる。

色々な言い方があると思うけれど、私は「自分がされて嫌な事は、人様に対してしない」ことと、「自分の言動が人様にどんな影響を与えるかを考える」事だと思っている。

この2点さえ守っていれば、後は少し癇に障ったり、多少ささくれても大丈夫、理解しあえると思う。

仲良く仲間意識を持って旅をするのは楽しいが、人によってはそれが自己主張の押し付けに繋がったり、人を犠牲にする事に繋がるので要注意であろう。

ツアー会社もこんなことは常識だし言うのも失礼だと口にしない事があるようだが、色々な人が居る。最低限の事は機会を捉えて周知徹底するよう努める事が必要だろう。

幸い、今回私が参加したツアーでは皆さん極めて健全な常識をお持ちで、楽しく愉快に過ごすことができ、感謝で一杯であった。

はな

 

大名旅行の功罪

ツアーは一般的に、何から何まで計画されたプランに沿って動けば良い、いわば大名旅行である。
面倒くさい事はツアー会社や添乗員がやってくれ、何も考える事がない。判断する必要もない。戸惑う事もない。良い事尽くめである。
まさに家臣や部下にかしずかれ、鷹揚に頷いていれば良い大名旅行なのである。

でも、そのような生活に慣れていない私には、心の中に何かしっくりこないものが澱む気がしてならなかった。
ペルーを旅しても言葉もしゃべれないし、現地の人と苦労して交流する事もない。
豪華なバスに乗り、あっという間に目的地に到着する。
いつの間にか知らぬうちに、ペルーの人々を見下しているような自分に気付いてハッとする。

現地の人の私達を見る目には暖かみを感じない、異次元の人間を見るような目である。
そういう人々の気持ちに思いを致さず、ひたすら自分達の望みの実現に突き進む。

これで良いのだろうか?
昨年、夫婦で四国歩き遍路の旅をした。
戸惑い、悩み、迷い、考え、地元の人に助けられ励まされ、自然に力をもらい、歩きに歩いて気付いたのはお遍路とは札所を廻る事ではない、人々とふれ合い、自然にとけ込み、ただただ歩く事だと言う事だった。
生かされていると言う気持ち、全てに感謝と言う気持ちに自然に素直になれた。
後悔の無い、悔いの無い旅であったお遍路旅と、ツアーの旅は異質のように感じられてならない。

ではそうすれば良いのか? これが難しい。
人それぞれ感じ方や思いが異なるのは当然だが、現地の方達と出来るだけ同じ目線で接するよう気配りをする事が大切ではないかと思った。
今回の私の場合、出来る限り相手の目を見て、笑顔で挨拶。頭を下げたり、手を振ったり、そんな事しか出来ないけれど、意識してやってみた。

はな

 

カメラマン気質

何度も触れたが、今回のアンデスの山旅ツアーは実質的に「撮影会」であった。
それを正しく認識せず山屋の私が入り込んだのだから、カメラマンの皆さんはきっと異物を飲み込んだような、違和感をお持ちになったのではなかろうか。

私も最初は全く違う世界の人の中に飛び込んでしまったような気がした。
でも、これはこれで面白い、どんな人達なのか見てみようと言う気持ちになったのも事実である。

僅か数日間ではあったが、カメラマンの方々とお付きさせて頂いて感じたのは。

まず、カメラマンはエンジニアではなく、芸術家である。
カメラの性能を限りなく引き出す事より、芸術作品を作り上げる人なのであった。

こういうイメージの作品を作りたいという目的が最初にあり、現場に行ってさらに最初のイメージに近い二次イメージを作り、切り取る構図を決め、タイミングを計り、その結果としてシャッターを切るのであった。

そのイメージがカメラマンとしての資質なのだろう。
だから、カメラを構える前にどう表現し、どう切り取るかが彼らにとって一番大切な事らしい。
そして現実の撮影対象がイメージに重なるまで、ひたすら待つ。
例えばモデルが微笑むまで、山の頂きに雲がかかるまで・・・。

私にはどちらも出来ない資質である。
山屋にもカメラ好きはいるけれど、たいていが行き当たりばったりの奇麗な景観をさっさと記録しているに過ぎない。
私等は写真は自分の活動記録だと思っている。
カメラマンの方達とは大違いなのである。

一方、今回のツアーでご一緒し親しくして頂いたKNさん、山岳写真の大ベテランなのだが「私は山のもっとも美しい瞬間を撮らせてもらうのです」と言われる。
山歩きをしながら撮っていた写真を「どうせ撮るなら良い写真を撮りたい」と思って努力しているだけで、作品を作ろうと思って撮っている訳ではないと言う。
このように一概にカメラマンと言っても一括りすることは出来ないのだが、写真を撮っている時は人を寄せ付けない厳しい雰囲気を持っていて、私からはやはり芸術家だなと見える。

でも、目的・目標を追い求める点では一緒。
山屋もどういうルートで山頂を極めようか真剣に考え、試行錯誤しつつ時間をかけて頂上に立つ。
必死で真剣な努力には変わりない。

そういう意味で私は今回お付き合いさせて頂いたカメラマンの方々を尊敬する。
皆さん、大したものである。

ただ以下は個人の問題になるのかも知れないが、余りに作品を作り上げたい一心で人様が嫌がっている事を汲み取れず、自分の欲望のままシャッターを切り続ける人も居るようだ。
熱心のあまりで、熱意の裏返しなのだろうが、カメラマンとして格好よくないと思う。
ぜひ、皆が格好いい素敵なカメラマンであって欲しいと思うのだが・・・。

はな

 

ツアーリーダー

今回私達のツアーリーダーは若いピチピチの人ではなく、落ち着いた経験豊かな方であった。
ツアーリーダーは参加者を無事に連れて帰ってくるのが一番の仕事だとは思うけれど、どれだけでは一人前ではないのだろう。

私達のリーダーUZさんは、参加者が何を求め、何を提供すれば満足するのかをしっかり把握していたように思う。
そのため事前の調査、研究や経験、蓄積された知識、現地での情報などを総合的に判断しつつ、アンデスの山々を見、撮るのに最適な場所、時間を幾つも設定してくれた。

そして現地スタッフを活用し、効率的にツアーを実施されていたように感じた。

このような素晴らしいツアーリーダーのお陰で、大満足の旅が出来たと確信し、感謝している。
UZさん、有り難うございました。
これからも、よろしくお願いします。

 

はな

 

ー 完 ー

 

 

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