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霊山寺の山門を入ると、一人の僧侶が掃き掃除をされていて挨拶するが何やら暗い表情。
本堂では従業員のオバちゃん達が無表情でロウソクやお線香などの品を補充している。
1番ではお遍路の作法などを教えて頂けると聞いていたが、誰も話しかけては来なかった。
作法を思い出しながら書いてきた写経を納め、たどたどしく読経。
気恥ずかしくて声も出ない、蚊の鳴くようなとはこういうことを言うのだろう。
練習もしてこなかったせいか、夫婦の息がどうも合わず、先が思いやられる。
霊山寺多宝塔
霊山寺の境内は沢山のお堂や仏像があり、堂々としたお寺で立派だ。
大師堂をお参りし、呼吸を合わせて読経しようとするが上手くはいかない。
最初なんだから上手く出来なくて当たり前、格好よく見せようなんて思わず、真剣に一生懸命お参りする事にしようと一人言い訳をする。
2番極楽寺へは霊山寺から概ね国道沿いに20分ほど。
1番とは打って変わって静かな落ち着いた雰囲気、肩の力が抜けるようでチョッピリ安堵する。
幸い回りに人もいないので少し大きな声で読経するが、カミさんがどこを読んでいるのか判らないから息のあわせようも無い、テンデンバラバラ。(コリャ。ダメだ!)納経所ではまだ若いお坊さんが丁寧に対応してくれ、記帳の終わった納経書をうやうやしく頭上に掲げて「ご苦労様です」と渡してくれた。感激し、こちらも最敬礼。
ここの売店には角張っていない丸い金剛杖が置いてありこれなら手が痛くならない、ここで購入すればよかったと悔やむ。
ちなみに売っている金剛杖は長さが130cmほど、山道ではもう少し長い方が使い易いのではないかと思うが売っていない。
この先、食事所が無いというので、ここの売店でちらし寿司のお弁当を買った。
3番への道を歩いていると突如「お接待しま〜す!」の声。
私たちの事とは思わず歩いていると、おばあさんが追いかけてきて缶入りのお茶と手作りのお賽銭入れの巾着袋を下さった。
カミさんが巾着袋の丁寧な仕事ぶりに感嘆しながら女同士おしゃべり、丁寧にお礼を申し上げ納め札を渡そうとするとそのお札は自分の分として次の札所に納めてくれとの事、約束してお別れした。
初めてのお接待を頂く
初体験して、本当にこういう文化が、風習があるのだなと感動した。
人様に喜んでもらう、そのために尽くす。尽くす事で自分自身に喜びを感じる。
こういう行動が自然に行われているのが、四国なのだろうか。
温かい気持ちに触れ、自然に頭が下がる。有り難うございました。さらに歩いている途中、カミさんがクスクス笑いだした。
どうしたのと聞くと、床屋さんの入り口に張ってある張り紙を指差す。
床屋さんに貼ってあったユーモア溢れる張り紙
「お遍路の皆さんせっかくの機会です。男は決意の丸坊主、女は覚悟の丸坊主になってみませんか?」
こういうユーモア好きだな〜。
3番金泉寺への道は舗装道路からこれが昔の遍路道なのか、田のあぜ道、お墓の中、民家の脇などを通って行く風情のある道。
土の道で足にも優しいし、遍路マークがあちこちに貼ってあり迷う心配が無いのも嬉しい。
昔からの遍路道
金泉寺をお参りし下手な読経をあげていると、隣から「ジャッ、ジャリッ!」と数珠を擦る音がしたと思ったらドスの利いた筋金入りの声で読経が始まった。
私たちの知らないお経も含めて、聞き惚れてしまうほど上手なのだ。
そして最後には、何とホラ貝をブォ〜・プォ〜を吹き鳴らした。
プロの修験僧かと思ったが、私たちと同じ夫婦連れ。
金泉寺
3番奥の院の愛染院までその方達と相前後して歩く、丁度歩調も同じぐらいだ。
愛染院でお参りをしていたら、ここの納経は筆ではなく刷毛で書く珍しい物だから是非納経してもらいなさいと声をかけて頂いた。
少し雑談をすると今夜の宿が一緒と判り、よろしくと挨拶を交わす。
この方が私たちがプ〜プ〜おじさんと呼ぶ事になった、この後三日ほど相前後して歩いた方である。
ちなみに、愛染院でも若いお坊さんが実に丁寧に対応して下さりとてもいい気分であった。
大日寺の山門
4番の大日寺からはお参りの際、団体のバス参拝の方々と一緒になり、整然と並んで大きな声を揃えての読経は圧倒される迫力だ。急ぐ訳でもないので参拝の様子を後ろから見物させてもらう。
その大合唱のお経を聞かせてもらったお陰か、テンポが飲み込め私たちのブツブツ読経もほんの少し噛み合うようになってきたような気がした。
ただ、ものの本には「早からず遅からず、小さからず大きからず」とあったが、大きい声の方がお大師様への願いも届きやすいのだろうか?(大きい声の人ほど、得をするのは世の常だし・・・)大日寺は山側に入った静寂な高台にあるお寺、静かな雰囲気がホッとした気分にさせてくれた。
五百羅漢像
大日寺付近の高台を歩いていると、吉野川を挟んで徳島平野というのだろうか、かなり広い平野とその西側に山並みが見え高い所には雪が積もっている。
四国はどうしても北海道と比べて小さいと言うイメージがあったが、どうして広くて雄大だ。
明後日に超える焼山寺への道は、あの山並みなのだろうか?
それにしても、四国の山に雪を見るなんて思ってもいなかったな〜。
地蔵寺の全景
5番札所の地蔵寺は広い境内を持ち、大銀杏が圧倒的な存在感を示している。
奥の院には五百羅漢が奉られ、表情豊かな羅漢様が立ち並ぶ様子は圧巻であった。道は板野町から上板町、そして阿波市へと入って行く。
この辺りの旧家は屋根に鯱を置き、軒先にも鯱のような形の物を乗せていて重厚そのもの、庭木なども素晴らしく手入れされていて、全体に裕福な感じを受ける。
それにしても、夏みかん、キンカンなどが当たり前のように沢山なっているし、花も一杯咲いている、草も瑞々しい緑と北海道との余りにもの違いに当惑する。
安楽寺の多宝塔
道の途中の日差しを受け温かい風を遮れるお社の石段でお昼を頂く。
さして歩いていないのに、午後になると疲れが出て口数も少なくなりがち。
6番安楽寺の休憩所でコーヒーを頼み小休止、コーヒーの甘さが染み入るようだ。
十楽寺本堂
安楽寺、十楽寺と団体の方々の読経を聞き参考にしながら読経する。
良く聞くとその団体によって読経のあげ方が微妙に違っているのに気付く、要は気持ちの込めようなのかな?
恥ずかしさも大分薄れてきたし夫婦の息も合うようになってきて、自信のようなものが湧いてきた。
今日の宿は7番十楽寺の宿坊、宿坊と言ってもシティホテルのツインルームと変らない。
奇麗だし、設備もばっちり、フロントまである。
遍路宿といえば木賃宿でポッちゃん便所を覚悟してきたのに、昨日といい今日といい嬉しい大誤算だ。
カミさんはコインランドリーに洗濯物を放り込み、大喜び。宿に到着し風呂に入り、1時間ほどゆっくり休んでいたら外からプォ〜・プォ〜という音が聞こえる。
アッ! あのご夫婦だ。托鉢も一日数軒回っているという、修験僧のような立派な人。
そう思っていたら夕食時「お接待は物よりお金が良い、金じゃ!」、奥さんもウンウンと頷いている。
「アレッ!」こういう人たちだったのか? 尊敬に値する偉い人というのは見込み違いだったみたい。
これ以降、私たちはこの方達をプ〜プ〜おじさんとの愛称で呼ぶ事にしたのです。
プープーおじさん
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