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菩提の道場
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宿毛からはすぐに遍路道に入り、新城山の南山麓を少し登ってから巻き北西に進んで行く。
深浦という所には松尾口番屋跡があり旧道の雰囲気で、ここから松尾峠への登りになる。
落ち葉が敷き詰められた古い山道で所々石畳が敷かれている。
朝の清々しい空気、柔らかい光、深い森、鳥のさえずり、時々麓のみかん畑から獅子脅しなのか爆竹のような大きな音が響いている。
実に気持ちの良い山道だ。
美しい山道の風情
45分ほどで標高300mの松尾峠へ、宿毛湾が一望できるがやや霞んでいて今一の眺めであった。
峠には大師堂があり、休憩所、トイレも置かれていた。
カミさんは登っている間に思いついた歌を手帳に忘れないよう書き込んでいる。
忘れないよう、書き込む
松尾峠は県境になっていて高知県と別れを告げ、愛媛県に入る。
これで四国4県のうち2県を歩いた事になる、半分だ。
松尾峠
道は愛媛県に入ると道幅も広く整備されている、県の経済力の違いなのだろうか。
ただ、整備されすぎて逆に歩きにくい部分もあり、やはり自然が一番だと思うが難しいもんだなと感じた。
20分も下ると舗装道路に出て、一本松に向かう。
国道56号線と出合う、丁度交番があり遍路道情報が貼ってあったのにも拘らず気が付かないで、おまわりさんに手数をかけてしまった。ごめんなさい。
最短距離の国道ルートを選ぶ、この国道きちんと歩道が着けられていて比較的歩き易い。
ただ、やはり車の為の道なので仕方ないと言えば仕方ないが、歩く人の為の休憩所などは無く腰を下ろす事も出来ない。
途中、橋を渡っているときオオルリが頭上低く飛んでゆくのを見た。
頭から背中にかけての青が美しく印象的で嬉しく感じた。トンネルを過ぎると愛南町の町並みに入るが、私達が違う道を進んでいるのか頼りにしている遍路マークを全く見ない。
不安になって地元の方に何度か道を尋ねる。
「道なりに真っすぐ!」この言葉を聞いて間違っていなかったと安心する一方、分かれ道に出会うと又不安になる。
僧都川を挟んで町役場を確認し現在位置を把握、安心する。
10時半を過ぎお腹も空いたがお店はあっても閉まっている所ばかり、国道に戻り道の駅に行ったが座る所もない。
近くに食堂を見つけチャンポンでお腹を満たす。
観自在寺のある辺りは、みしょう(御荘)とか平城とか呼ばれているようだ。
どんな意味なのかと思ったら、かつて天皇家が毎年のように使者を遣わし信仰していたためだとか。
歴史の深みを感じた呼び名であった。
観自在寺山門
観自在寺に着くと歩いている間には前後に1人としてお遍路さんを見なかったのに、言葉は悪いがまさにウンカの如く沸き上がるように白装束のお遍路さん達がいる。
丁度、バスが到着した所らしかった。
バスで回ろうが、車であろうが、歩きであろうが、その人その人の考え・事情・都合などがあるから一向に構わないが、本堂や大師堂の真ん前で他の人がお参りできないような形で隊列を組み、大音量で怒鳴るように参拝するのはいかがなものであろうか?
4組のグループが次々を占領するものだから、私達個人の参拝者はじっと待っていなければ写経を納める事も出来ない。
観自在寺本堂
皆が譲り合って平等にお参りできるよう配慮しましょうよ、先達さん。
貴方はそうゆう事を教え指導するのも仕事なのではありませんか?納経所も大変、4台のバスの添乗員さんが大量の納経所や軸を抱えて右往左往している。
こればかりは順番だからとカミさんと待っていると、納経所の方が気を利かせ先に納経して頂いた。
観自在寺大師堂
観自在寺はその名からご本尊は観音様かと思っていたが、そうではなく薬師如来であった。
境内は整然と整っているが、最近の新しい建物が多いようだ。
一説のよると、1番霊山寺から一番遠く離れた所にあるので「四国霊場の裏関所」とも言われているそうだ。
12支の石像
観自在寺を後にして再び国道を歩く。
海から離れだらだらと登って行く、午後になり疲れも出始め少し辛い。
回りの目からもヘタバって見えたのか、一台の軽自動車が止まり運転席から「頑張れよ」と飴をお接待して頂いた。
お礼を言う間もなく車は立ち去って行ってしまった。ありがとうございました。途中無人販売所で愛媛と言えばの伊予かんを購入。
相変わらず休憩所のようなものは無く、少し広くなった道端で食べるが、何故かみずみずしさや甘みが足りず5つの内2つが腐っていて少し残念な思いをした。
愛南町の海辺で
菊川に近づいた所で心配していた雨が降り出した。
以前、甘く見て大変な思いをしたので雨着を着、ザックカバーを着ける。
幸い、雨は大した事なくほどなく上がり濡れる事なく内海の宿に着いた。しかしながら国道沿いを歩くのはどうしてこんなに疲れるのだろう。
自然の道や旧道を歩いている時は気分も穏やかにリラックスし会話もはずむのに、国道沿いを歩いているとなぜか気も滅入り無口になってひたすら我慢して歩いている。平常は歩行者の事など考える事もなく便利に車を走らせている自分が、立場が変われば全く別の事を考え・感ずる。
自分本位・中心にものを見・考える事より、逆の立場からより広く高い見地からものを見・感じ・考える事の大切さを改めて感じたような気がする。
でも、果たしていつまでこのように思え・感じるのか自信はないな〜。今日の宿は内海の旭屋、建物も部屋もきれいで清潔、お風呂も大きく気持ちが良い。
そして料理は活魚料理店の看板を出しているだけあって、とても美味しく食べ切れない程の漁であった。
特にブリの兜煮は絶品で骨までしゃぶってしまったが、おかみさんからは「お二人とも上手に奇麗に食べてくれて嬉しい」と言われた。
誉められたのかな? それとも皮肉かしら?山仲間のSGさん、松山のNEさんに愛媛入りをメールする。
お二人から、「後半分、気を抜かず頑張れ!」の応援メールやTelが返って来た。
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