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ボランティアじいちゃん
伊予三島の風景 |
5分も行くと、女性遍路が一人降りてきて「犬が沢山いて棒を振り回したけど、吠えかかり怖くて引き返して来た」と訴える。
「一緒に行きましょう、大丈夫ですよ」と歩くと確かに6匹ほどの犬が出て来た。
目を見ながら「オ〜イ、通してくれよな〜」と近づけば大人しくうろうろしているだけ。
しばらく一匹の成犬と子犬が付いてきてじゃれ付く、可愛くて遊んでいると女性遍路はさっさと先に行ってしまった。
きっと、単なる犬嫌いだったのだろう。
三角寺への遍路道
山道は幅も広く良く手入れがされ歩き易い。
おじいさんの言う通り、幾つか右に入る細い道があったが教えられた通り歩いた。
もっとも、指示標識もきちんとあったけど・・・。
地図には三角寺の標高が480mとあるので、1時間はたっぷりかかると思っていたらわずか20分で車道に合流、そこから10分もかからず三角寺へ着いた。
三角寺の標高は360m位が正しいのではないだろうか?
車道に合流した時びっくりした、なんと先ほどのおじいさんが車道を歩いてくるではないか。
「どうしたんですか?」と聞くと「あんたらを待っていようとバイクを置いて来たんだ。あんたら早いね」
通りすがりの者を心配してわざわざ登って来て下さった。
何と言う気持ちの持ち主だろう。
「わざわざご足労をおかけして・・・」と言うと「な〜に、毎日の運動だ!」
三角寺へご一緒し、三角寺でも色々説明して頂いた。
重ね重ね本当に、ありがとうございました。
三角寺は菩提の道場(愛媛県)最後の札所である。
もうそんなに歩いて来たのかと思うと感慨深いものがある。
三角寺
山の中腹にあって境内はそんなに広大ではないが、お堂がバランスよく配置されしっとり落ち着いた感じ。
古い桜の大木が花を付け始め、満開時はさぞかし美しく映える事だろうとおもう。
三角寺
お参りを済ませ境内を歩いていて、歩き遍路を280回行ったと言う方が寄贈した石柱が建っていて驚く。
50年間訪れたと仮定しても、年に6回歩かねばならない。
恐れ入るとしか言葉がない。
何でもそうだが、世の中には信じられない程の凄い人がいるものだ。
三角寺を後にして常福寺椿堂へと向かう。
本当は三角寺の奥の院、仙龍寺を訪れたかったのだが5時間以上掛かりそうなので残念ながら断念した。
時間は8時半、先ほどのおじいさんの話ではここから境目までは4時間もあれば十分と言う。
それでは昼頃に着いてしまう。
どうするかカミさんと相談、明日は雨それもかなりの風雨となる予報が出ている。
大雨の中、雲辺寺への上り下りは出来れば回避したい。
「今日、雲辺寺を越えてしまおう」決心変更である。朝令暮改は得意中の得意技だ。まずは泊まる所の確保だと、雲辺寺下の民宿青空に電話すると運良く泊まれると言う。
返す刀で予約してある池田の宿へ「申し訳ありません」とキャンセルをお願いする。
快く了解を頂き、後は頑張るのみだ。
二人ともアドレナリンの分泌が急増、目に力が入り歩幅も広がった。
平山にある休憩所でパンを分け合って食べ、トイレを借用。
車の少ない道を快適に歩き、10時前に椿堂へ。
椿堂は小さな山里のお寺、住職さんが柔和な物腰で接して下さる。
こちらまで、ゆったりした気持ちになる所が人徳か。
おまけに「歩きの人は納経料はお接待です」と受け取って頂けなかった。
椿堂
またどういう訳か、境内にこのお寺にふさわしいのかどうか迷うような男女の関係を表す石像が置かれていて、その不釣り合いさがおかしかった。
18歳以下拝観お断り
椿堂から今日の正念場である、雲辺寺へと向かう。
雲辺寺へのルートは大きく2つ。
一つは椿堂から192号線を歩き、境目トンネルを抜け(トンネル迂回道もある)佐野を過ぎてから山道を登るルート。
もう一つは境目トンネル手前の七田から曼陀峠を越え稜線上を歩いて雲辺寺へ至るルートである。
私達は二番目の曼陀峠越えのルートを選択した。椿堂から40分位国道の緩やかな登りを歩くと境目トンネルの少し手前で、曼陀峠への遍路道は左へ入って行く。
取り付きの15分はかなりの登り、少し荒れた細い道をジグを切りながら登ると、軽トラなら通れそうな簡易舗装の道へ出て雲辺寺への標識に導かれる。
稜線から赤石連峰の眺め
標高520〜570m位の稜線上を東へと歩く。
落ち葉の積もった、時に杉林、時に落葉樹のトンネル、時に「花の百名山赤石連峰」などを見渡せる、実に気持ちの良い、快適・爽快なプロムナードだ。
落葉樹のトンネルを抜け
途中コンビニで買った、いなり寿司でお昼ご飯。
喉が渇いたのか、カミさんグビグビとお水をビールの如くやっている、残量を計算して誰かはグッ!と我慢する。
稜線からの風景
12時に愛媛と徳島の県境である境目を通過、12時半に曼陀峠、13時に佐野から上がってくる遍路道と合流、13時半に雲辺寺へ着いた。
よく頑張りました。
そしてこの曼陀峠越えの道、とても感じの良い爽快な道でした。
雲辺寺の敷地に入り、お寺の駐車場から山門へと歩いて行く。
太い杉林の参道、静かな神聖な神々しい気配が漂っている。
涅槃の道場(香川県)の最初の霊場だ。その霊場に何と! その神聖な参道の道端にこんもりティッシュの山が・・・。
近くには奉仕の方達が杉林の中の清掃をされている。
この方達が見たらどんなお気持ちになるだろう。カミさんも呆れ果て「何と言う事するのかしら、恥ずかしくないの?」と怒っている。
本当に神聖な場所で何と言う事だ。
出物腫れ物、所嫌わずとは言うけれど、5分も歩けばトイレもある。
貴様の糞は誰が始末するんだ、あの奉仕の方々がするんだぞ。
自分の手で拾ってとっとと帰りやがれ、「馬鹿やろう〜!」
気分を鎮め怒りを納めて、雲辺寺へお参りだ。
手水舎では、弘法大師が杖を突き刺して水を出したと言う井戸からのお水を頂く。
冷たくて美味しいお水、我慢して来た人には特に美味しいお水であった。
雲辺寺山門
由来によると、雲辺寺は弘法大師が霊気を感じられ建立し、その後僧侶の修行や学問を納める場として、とても大きな伽藍を有していたそうだ。
今は本堂が工事中で仮本堂をお参りするせいかも知れないが、それほど多くの伽藍があったとは感じられなかった。
雲辺寺
仮本堂でお参り、般若心経を唱えていると左後ろから何か異様な気配を感じる。
かまわず読経を続けようとするが気になって仕方がない。
フッと後ろを見ると、お遍路姿の男性が私の顔の30cm位にレンズを構えている。
このくらいの事が気になってお経を続けられない私も私だが、こいつも相当失礼なやつではないか。
「こんな汚い面なんか撮ってどうするんだ」思わず睨んでやったら、そそくさと何も言わず立ち去って行った。
ああ気持ち悪い、雲辺寺で二回目の「馬鹿やろう〜!」だ。お参りし納経も終えて、このお寺には「お頼み茄子」という、有り難いものがあると聞いていたが見渡しても分からない。
カミさんに「おたんこなす」ってどこにあるのと聞いたら睨まれた。
ああ、札所の人に聞かなくて良かった・・・。
おたんこなすの自分自身に雲辺寺三回目の「馬鹿やろう〜」だ。
雲辺寺の羅漢様
雲辺寺を出る頃から本曇りになって来た。
五百羅漢の前を通り、遍路道に入るべく歩いているとバイクに乗った人が来て、年配の人を見かけなかったかと聞いてくる。
どうやら団体の一人が居なくなり探しているのだった。大興寺への遍路道をひたすら下る。
萩原寺への道を左に分け、かなり急な滑り易い道を注意して降りる。
雨の日には大変だろうと思う道、今日頑張って良かったとつくづく思う。
雲辺寺から急坂の遍路道を1時間下り、舗装道路に出ると今日の宿「民宿 青空」はすぐであった。
若いご夫婦が営むこの宿、お遍路に便利に快適に過ごしてもらう事をポリシーにしている宿だ。
そのような考えで改装された室内はきれいで快適、使い易く、三坂峠の桃李庵と似通った性格の宿のように感じた。夕食時にご主人を交え食事しながら雑談。
料理も全て手作りで季節のものが多く、薄味で美味しい。
雑談では、お遍路のマナーについて色々な意見が飛び出した。
ご主人の体験から
「団体遍路の人達の多くは仲間の背中しか見ていないので、自分が山門から来たのか、駐車場から来たのか、ロープウェイから来たのかさえ知らない、だから良く迷う」とか
「仲間と来ている人の多くはおしゃべりが目的で参拝は二の次、だから他人が静かにお参りしていようがそんな事はおかまいなし、本当は先達さんが教えなければいけないのだがそんな人は少ない」などの話は私も同感で興味深く頷ける話であった。また三角寺への道で会った女性も同宿であった。
この方のお参りの仕方が面白い。
お参りはしっかりされるが、お灯明もお線香も納経もしない。
何故だと聞くと、ロウソクなどは灯明箱の水を張ったロウソク受けに新しいまま捨てられている。
そんなのはお大師様への敬意ではなく、ただの浪費だと言う。
お線香も納経も同じで無駄な事はしないし、したくないのだと言う。
確かに一理ある。なるほどと思った。
三角寺での犬の話をするとやはり相当の犬嫌いなのだった。
嫌と思えば相手も嫌、犬だって同じだと言うと「判っているんだけど、怖いものは怖いのよ」。
ま、仕方ないか。
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