お遍路への思い、そして具体化

お地蔵様

お遍路への思い

「木漏れ日もささない昼なお暗い鬱蒼とした杉林、うねうねと伸びる細い山道、金剛杖をたよりに助け合いながらよろめくように歩む女偏路二人。」

題名も内容も忘れたがこんなシーンが印象に残るドラマを見たのは二十数年前のこと。
涙ながらに見入っていたカミさんが、お遍路へあこがれを持っているのを知ったのはそのときであったように思う。
「何時か一緒に行くか」と言ったものの、時間的にも経済的にも家庭的にも二人して一ヶ月以上家を空けるなんてとても現実的では無かった。

子供たちも何とか自立し、定年退職を迎え、そろそろかと思ったら母の介護が待っていた。
重度の糖尿と認知症で身障者一級の母は、週三回の人工透析で命を繋いでいる。
病院への送り迎え、毎食事の血糖値測定・インスリン注射・投薬も欠かせない。
認知症のなせる業で何をするか判らないから、夫婦どちらかが常に家にいなければならなかった。
昨年秋、その母の足腰が急に覚束なくなり、どうしたものかと掛り付け医師やケアマネージャーに相談した。
とても家庭では無理と介護医療付きの介護施設を紹介され、入所してもらう事になった。

入所した母の事は気になるが、今を於いてチャンスはないと心に決めた。
春になったら四国遍路の旅に出よう。これまでつらい顔も見せず明るく振る舞ったきてくれたカミさんへの「ありがとう」だ。
私自身はお遍路にさしたる関心や興味がある訳でもないので、カミさんの用心棒、マネージャー役を勤めながら、四国の自然や風・人々との出会いを楽しもうと思う。

 

カミさん

思いがけず四国行きが具体化したのは新年の事。
心が躍るのか、故郷の夢を見た。

「幼い私は嬉々として田んぼ道を愛犬と走り回っている。
真新しい手ぬぐいを被った祖母がいそいそとおはぎを作っている。
遠く近く鈴の音が聞こえてきて、お遍路さんの一団が見えてきた。」

忘れかけていた風景が余りにも鮮やかなのに呆然とした。
いにしえの祈り人を導いた四国路を歩いてみたいと強く思っているのには、育った風土・環境があるのだろうか。
私の故郷は千葉 房州 安房の国。
安房観音霊場の遍路道が生家のすぐ前を通っていた。

いつもせわしなく生きてきたような気がする。
ゆっくりした時間の中で自分を見つめてみたい。

生きているうち、歩けるうちに・・・。

安房霊場朱印安房霊場朱印2

カミさんの母君が彼女のために祈り歩いた、安房観音霊場の御朱印布

 

という訳で2008.3.5(水)から四国お遍路に旅立ちます。

こだわる訳ではありませんが、基本的に歩いて廻ろうと思います。

事前に情報などを、山仲間で函館のSGさん、松山のNEさん、大学同期で大阪のKT君から頂きました、有り難うございました。

 

歩き遍路への不安

今回の四国遍路に対しては期待も大きいが、不安が無いと言ったら嘘になる。
体力面、精神面ともに想像以上に厳しいものがあるに違いない。
へこたれ、惨めな思いをするだけで終わるかもしれない。
そんな思いがどこか心の片隅に澱んでいる。

確かに身体的にはカミさんは心臓と喘息の発作止めの薬が手放せないし、私も腰と膝、昨年山で骨折した足首に爆弾を抱えているが、それらは承知の上の事。
歩き始める前から後ろ向きになるのは止めよう、一歩一歩自分で自分を乗り越えていく事が遍路の目的でもある筈だ。
旅の途中で具合が悪くなったらその場で対処しよう。それで駄目なら諦めれば良い。
何とかなるさのポレポレ気分で歩いていこう。

精神的な辛さには多少は慣れている。夫婦でかばい合い、励まし合い、これまたポレポレ気分で行く事にしよう。

 

お遍路の計画・そして具体化

お遍路に関する知識は無きに等しかったので、まずはインターネットで無差別に資料・情報を集め、そこで知った「へんろみち保存協会」編の「四国遍路ひとり歩き同行二人」という冊子と別冊の地図を入手した。
以後、この二冊は私のバイブルとして手放せないほど大切なものとなった。

歩く行程は冊子の助言を受け、当初の数日は日に20〜25kmとし様子を見て増減する事にした。
別冊の地図は宿情報も詳細に記述されていて極めて貴重なものであるが、ややもすると方向や縮尺がまちまちで判りにくい面がある、そこで全体像が判る地図を別にダウンロードして用意した。

札所の特徴・見所などは自分たちの感性を大事にしたいと思い、あえて調べたりはしなかった。
(これについては無知故に失敗をしてしまった事もあった。知識を持ちながら己の感性を大事にする事が必要だと思う。)

装具・持ち物は趣味の山歩きで普段使っているものを出来るだけ利用する事にし、その他は冊子のアドバイスを活用した。

ノートパソコンを持って歩き、毎日HPを更新しようと考え準備したが、出発の数日前に突然PCがダウンしハードディスク交換と言うトラブルに見舞われ、諦めた。
結果的にはPCを持って行ったら重くて、かなり苦戦しただろうとつくづく感じた。(もしかしたら、これもお大師様のお導きだったのかも・・・)

宿の手配は行動の自由を確保するため、前夜もしくは当日の午前中に予約する事にした。

こんなおおざっぱな計画で、私たち夫婦は四国へと旅立ったのです。

 

 

Homeへ
Page Topへ
次へ進む


inserted by FC2 system