ヒマラヤ紀行 Part6

 

モンラ峠〜ナムチェバザール〜ルクラ

 

月明かりのタムセルク

 


 

11/19(木)晴れ ゴーキョ〜マチェルモ
11/20(金)晴れ マチェルモ〜モンラ峠
11/21(土)晴れ モンラ峠〜ナムチェバザール
11/22(日)晴れ ナムチェバザール〜バンカー
11/23(月)晴れ バンカー〜ルクラ
11/24(火)晴れ ルクラ〜カトマンズ

対決

今日は午前中にレンジョ・パスを往復し、最後の大景観を満喫後、ゴーキョを離れる計画である。幸い天気も上々だ。

レンジョ・パス往復の準備を整え出発を待つ。
スタッフ達は早くもテントなどを撤収している。

ニマさんがいつも通り「ゆっくりね、ゆっくり」と言いながら笑顔でやって来た。
レンジョ・パスの方向へ歩き出そうとすると、そちらではないと下山方向を指差す。

レンジョ・パスを見ながら「レンジョ・パスだよ」と言うとニマさんの顔色が変わった。

以後しばらくは真面目な顔をして、こっちだ、あっちだの応酬。
外から見たら何をやっているんだと笑われたに違いない。

 

意思疎通

どうやら意思疎通の不足、相互の思い込みによる誤解であったようだ。

私は計画を修正した際、新予定をペーパーに書き、ゴーキョ・リとレンジョ・パスには必ず行きたい事を申し添え、ニマさんに手渡した。
新予定にはさらに1日の予備がある事もお互いに確認した筈だ。

ニマさんはどうやらゴーキョ4泊の内、悪天候で3日停滞したが、昨日ゴーキョ・リを十分楽しめたからOKだと思ったらしい。

重ねてレンジョ・パスへは行きたいのだと言うと、
「貴方なら無理ではないが雪が沢山残っている。降雪後、誰も歩いていないレンジョ・パス付近は雪と氷で大変だ、とても午前中の往復は無理」と譲らない。

ここは、このキャラバン隊の主人として強権を発動して良い場面だとも考えた。
ゴーキョでもう一泊すると宣言すれば良い事だ。
ただ、すでにコックとキッチンボーイ達は食料や調理道具、自分たちの荷物を担いで昼食場所へ出発していると言う。
彼らを呼び返すのは大変だし、サーダーとしてのニマさんの面子を潰してしまう。

ああ! どうすれば良いのだ?

チョ・オユー
ゴーキョからのチョ・オユー

 

決断

しばし考えたあげく、レンジョ・パスは諦める事にした。
雪と氷でレンジョ・パスには物理的に行けないのだと思う事にした。

そのように決断し、ニマさんに伝えると、安心したようないつもの穏やかな顔つきに戻った。
残念だが、その事はもう考えないようにした。
イジイジしても仕方が無い。
最後は自分で判断したのだ、それで良いじゃないか・・・。

ただ、この辺りに現地会社や現地ガイドとの意思疎通の限界があるのかも知れない。
相互に信頼はしてても、日本人独特の心情は決して伝わらないのだ。
私としてもトレックを始めてから2週間以上が経ち、こちらの要求は完璧に理解され実行されるものだと言う思い込みがあったのも事実で、反省しなければならないと感じた。

 

マチェルモへ

マチェルモへはゴーキョからゆっくり歩いて3時間ほど。
ドード・コシの流れに沿って、のんびり下って行く。

ゴーキョへ向かう人達に、挨拶しながら「ゴーキョは素晴らしいですよ、楽しんで来て下さいね」と声をかける。

渓流沿いの景色も素晴らしい。
振り返れば、チョ.オユーがいつまでも見守ってくれ、行く手にはカンテガ、タムセルクの姿が次第に大きくなって来る。

過ぎた事をクヨクヨ思っても仕方が無い。
気持ちを切り替えよう。
でも、その為に遠くから時間を作ってやって来たのだと思うと、ついつい悔やんでしまうんだよな〜!

マチェルモの岩山マチェルモの岩山

 

トイレ

尾籠な話で恐縮だがトレッキング中トイレは、ロッジのを借用するか、自作のトイレテントでするかである。
3週間のうち、トイレテントを使用したのは6日間で、多くはロッジのトイレを借用した。

ロッジのトイレも時代の要請なのだろう、かなり奇麗で使い易いものが多くなって来ているようであるが、まだ古く正直立ちすくんでしまうようなものも残っている。

マッチェルモの借用したロッジのトイレはまさにその代表格。
さすがの私でも使う気になれず、最初の休憩時に大自然を鑑賞しながらのキジ打ちでしのいだ。
チョラパスの麓の草原でキャンプした時に次いで2回目である。
2回とも大自然の中でたいそう気持ちが良かったが、誰でもいつでも出来る事ではない。

ロッジのトイレの改善、一日も早くすべてのロッジで行ってほしいものである。

 

モンラ峠

モンラ峠へはドード・コシの深い谷の山腹に付けられた高度感溢れるトラバース道を緩やかに下る。
眺望も素晴らしく、気持ちよく歩けるプロムナードである。
このゴーキョへ通じる道は、カラパタールへの道と比べ、トレッカーの姿が極めて少ない。
静かな山旅を求めるなら、この道がお勧めである。

ゴーキョへの道
ゴーキョへ続く道(左上)とドード・コシの流れ

どんどん高度を下げ4200mを切るとシャクナゲが目立ち始め、4000mを切ると木々が急に多くなって来た。

3700mまで下り、200mほど登り返した所がモンラ峠、アマダムラム、カンテガ、タムセルクが正面に見渡せる展望の地であった。

それをすべて眺められるテントサイトである。
終わりに近づいたヒマラヤの展望を大いに楽しむ事にしよう。

カンテガ
カンテガ(6783m)とタムセルク(6618m)

良く見るとタムセルクの壁に出来ているヒマラヤ襞がすごい迫力である。
また壁から雪崩落ちた大量のデブリも恐ろしい位の溜まりようである。

タムセルク

夕方からは山々に夕焼けショーが展開された。
アマダムラムの天を突く岩峰の夕照は特に印象的であった。

アマダムラム夕照、アマダムラム

夜の帳が降りて月明かりに照らされた山々は昼とは違い、ますます静かで遠い存在であるように感じさせられ、神秘的ですらあった。

タムセルク
月明かりに浮かぶカンテガとタムセルク

 

ナムチェバザールへ

モンラ峠から緩やかな道を2時間も下ると、タンボチェとナムチェバザールを結ぶメイン道路に合流した。
ここからは行きに歩いた道をそのまま戻る事になる。

行きにはその姿に感動の連続であったエベレストを始めとするヒマラヤの山々、懐かしさを感じ帰って来たよ〜と話しかけながら足を運ぶ。
丁度、バザールが開かれていたそうで中国産のお米や衣類などの荷物を沢山積んだヤクが何頭も歩いて来る。
生活の臭いが急に漂い始めたような感じである。

ヤクの一団約

ナムチェバザールでは開かれていたバザールを見物、見物といって喜んだのはスタッフ達、子供や家族達へプレゼントを沢山買い込んでいた。

 

ルクラへ

ルクラへも来た道をそのまま逆に引き返す。
余裕のある計画の上、1日の予備があるのだから、ゆっくりと言うよりダラダラと言う方が適切な表現のキャラバンである。
緊張感も薄れ、惰性で歩いている。

行きには感動した景色にも心が反応しなくなっている。
新鮮な感情を持ち続ける事って、意外にむずかしい。

吊り橋ドード・コシの流れを横切る

 

さよなら・パーティ

ルクラでは夜にさよなら・パーティ。
シェルパの皆さんは飲んべえが多いと聞いていたのでどうなる事かと思っていたが、私たちのスタッフは7名のうち2名しかお酒を飲まない。
お酒を飲む人には現地のお酒を、その他の人にはジュースなどを振る舞った。
コックは鳥を仕入れ、唐揚げやケーキを作ってくれた。

呑まない人が多いパーティとはいかなるものかと心配したが、案ずるより産むが易し。
パーティが始まるや、歌は出るし、ネパール・ダンスで盛り上がる。
私もダンスの輪に引っ張り込まれ、楽しく愉快なひとときを過ごす事が出来た。

皆さん、本当にどうもありがとうございました。

 

カトマンズへ

11/24(火)、3週間に及ぶヒマラヤ・トレッキングを終え、朝一番の飛行機でルクラを立つ。
スタッフ一同が飛行場まで見送りに来てくれる。

皆さんと感謝の握手。
ニマさん、ありがとう。素晴らしいガイドでした。
リンジさん、おいしい食事をありがとう。
ラッツパ、良いシェルパになれよ。
みなさん、本当にありがとう、素敵なキャラバンでした。

カトマンズのホテルへ着いて、まずはお風呂。
洗った髪の毛から滴り落ちる茶色と言うかグレーに汚れたお湯が、ヒマラヤ・トレッキングの終わりを物語っていた。

終わった
ヒマラヤ・トレックを満喫し終わって

 

 

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