プロフィール



カミさんと私
木々

私は1943年東京新宿生まれの東京育ちで0型,通称「たかさん」。
カミさんは千葉県安房生まれの安房育ちでB型、「ようこさん」。

私の自然との関わりと言いましょうか、山への関心は高校生であった1960年頃何気なく見ていた父のアルバムの中に雪上でリュックを背負いピッケルを持った二人の青年の写真を見たときからであったような感じを持っています。(父と友人であった)

父に相談しアドバイスをもらい、東京の最高峰・雲取山へ一人で行ったのが初体験でした。
水の音がすぐ近くに感じて降りていって大変な思いをしたり、獣の臭いを感じて恐ろしくなり死ぬほど走ったり、今思えば笑い話ですがこの経験を通じて少し大人になったような気がしたのを覚えています。

大学ではワンダーフォーゲル部で講義はサボっても山行は無欠席という学生生活を過ごし、卒業後も機会を見ては合宿に参加するなど山漬けに近い状態でしたが、次第に仕事中心の生活となり45歳位までは山を思い出すことも無い猛烈サラリーマンの端くれであったように思います。

45歳を過ぎるころから仕事にも余裕が出てきて再び山歩きを始めましたが、独り歩きばかりではとカミさんや家族、友人達と歩くようになりただ歩き回るスタイルの山歩きが花や食事を楽しむように変わってきました。(変わったというより、変えさせられたと言うのが正しいのでしょう)

こんなわけで趣味といえば「山歩き」だけだったのですが、これでは年をとって身体が動かなくなったらつまらなくなると思い、50歳頃から油絵や焼き物も楽しむようになっています。

でもあれもこれも楽しむという器用さを持ち合わせておらず、絵を描いている時は他の事は放ったらかし状態となってしまうので、どうしても山がメインになってしまいます。

最近は体力も気力もすっかり落ちてきました。
それを補う為に利用できる物は積極的に利用するようにしています。
濡れても寒くならない速乾性のウェアー、サポートタイツ、ストック、軽くて防水性の高いザック、・・・などなどです。

それでも娘達からは、「もう齢なんだから一人で行ったり、車の中で泊まるなんて絶対ダメよ。」ときつくたしなめられ、益々カミさんにお付き合いしてもらう回数が増えています。

一方、カミさんは房州育ちで子供の頃から山野を駆け回り、海で遊ぶという環境で育ったせいか、意識しなくても自然と上手に関わりあっていける能力を持っているようです。

でも、本格的な山との出合はほとんど無く、大学時代に知りあった私と穂高を歩いたのが最初でした。

結婚後はすぐに子供が続けて3人も出来、育児に家事にとテンヤワンヤで山どころではありませんでしたが、子供たちに手がかからないようなってから山や自然の中を歩くことを再開しました。

趣味は高校時代からの油絵、生け花、10年程前から始めた焼き物、短歌そして山歩きです。

我が家の山歩きには一つのルールがあります。
知りあって初めて穂高に行くとき格好つけて「荷物は全部僕が持つから」と言ったのが間違いでした。
それ以来、このルールは何度か改正を申し入れましたが、厳守されています。
最近では、本当にへばった時だけ「少し持ってあげようか?」と優しい気配りを見せてくれ、もう少しでこの不平等条約は解消されるのではと期待しているところです。

実は、カミさん用の45リットルザックを買い求めてそっと仕舞ってあるのです・・・。

 

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