様似山道(日高)     2003.5.20(火) 霧のち曇り



オオサクラソウ

様似山道と言うところでオオサクラソウをはじめとして多くの花が楽しめる、とHYML(北海道、山メーリング・リスト)の花ママさんから教えてもらいました。

何処にあるのかも分からなかったのですが何とか調べて、ダメでもともと・期待半分で行ってきました。


「様似山道」、聞いたこともありません。初耳です。
調べてみると江戸時代、蝦夷地開拓の時、日高から十勝にかけての海岸線は断崖絶壁が続き通行するには危険を冒して断崖を登り降りしなければならず、加えて海が荒れたときには何日も足止めが続くなど極めて難渋したため、道路開削を進めたそうです。
その中で一番最初に着手されたのが、当時のシャマニ・今の様似の山道とのこと。

?


様似山道入口にある説明看板

場所は様似町の冬島と幌満を結んでいる山道で、いずれの入口も現在の国道から入ることが出来ます。

私たちは東側の幌満川河口から、西側のコトニまで歩く計画です。
山道入口で入山届を出し、細い谷間に入っていくと、数十メートル脇に国道が走っているなんて信じられない程、景色が一変し、深山幽谷の世界です。
霧に覆われた暗く細い谷に、紅い色がポツンと目に入ってきて、次第にその紅い色がどんどん増え、谷一面が紅・紅・ピンク・ピンク。

オオサクラソウで1杯です。
花の色も、紅を中心に濃いほうには、赤紫色。薄いほうには、ピンク、薄紫、淡いピンク、そして白と同じ花とは思えないような彩りの多さです。

こんなに多くのオオサクラソウを見たのは初めてです。息を飲むとはこういうことを言うのでしょうね。


赤いオオサクラソウ

白花のオオサクラソウ

この時期、最も多く目立つ花はオオサクラソウですが、その他にはオオバナエンレイソウ、シラネアオイ、ニリンソウ、アズマイチゲ、スミレ、ヒトリシズカ、フデリンドウ、ハナイカダ、オオカメノキ、ネコノメソウ、カタクリ、エゾエンゴサクなどが負けずに咲いていました。



オオバナエンレイソウ

花々を愛で、堪能しながら霧の山道を歩いていると、昔の人たちも花を楽しんだのだろうか? どんな気持ちでこの道を歩いたのか? などと思ってしまうほど、風情のある山道です。



様似山道、原田宿跡付近

様似山道、ルランベツ付近

でも、山道の雰囲気と花々の素晴らしさは本当に感激ものでしたが、困ったものも。
花の写真を撮ろうと膝を突いたり、座ったりしてから、ふと見るとスパッツやズボンにダニが何匹も付いていました。
気になるとあちこち痒くなって、体中をポリポリしながらの散策でした。

当初の計画では、コトニから国道へ降りて幌満へ引き返す予定でしたが、国道をテクテク歩くのはあまりにも風情が無いと、もときた道を引き返し再び花々を楽しみました。
楽しかった山道ももう終わりと言う所で、カミさんが「チョット待ってて」と、崖のような斜面をスルスルと登っていきます。  その行く先には、大きなウドが。
「来年のために少し残してきたわ。」言う手には、太くて美味しそうなのが5・6本も・・・。


ウドを採りゴキゲン

山道散策を終えて、幌満川の河口でお昼を食べたのですが、河口の大きな岩に未完成の隧道が掘られた形跡があり、また河口の小山の谷は道として使われていたような感じがしました。
そんなことが気になって後日、本棚から井上靖さんの「四千万歩の男」を取り出し通読すると少し興味を引く事が。

様似山道が造られたのは、寛政11年(1799)で、伊能忠敬は翌年の寛政12年にこの地を測量しています。
様似会所での記録に「海岸は所々厳岩出没し、通行者は縄を下げ、梯子を掛け、あるいは厳岩の間をかがみ、あるいは波濤の打ち来る隙を見て疾走する」このような地なので、山道を開墾したが1年で元に戻ってしまい、多くの人が命を落としているとあります
そして、7/2(今の8月)「砂馬仁(シャマニ)出立、海岸に高くそびえる大岩を上下し甚だ危うし、念仏坂と言う蝦夷人のみ往来せる険阻なる山越えをなし、ポロマシベツと言う川に出・・・」との記述があり、往時の様似山道の様子を想像することが出来ます。

現在は花好き達だけが訪れるような山道にも、歴史が有るのだと思うと格別な感を持ちます。

Homeへ Page Topへ 次に進む
inserted by FC2 system