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十勝岳
エピローグ
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初めてのルート、それに一人である事から不安は少しでも解消しておこうと、取り付き尾根や下降予定尾根の状態をC'Kするため、まだ明るい1700には国道336号線の翠明橋に着いた。
観察すると取り付き尾根はかなりの急斜面、少し前に雪が降ったようで、つぼ足だと膝上まで埋まる状態だ。
下山予定ルートも崖に近い傾斜で落ち込んでいる。
そして下った先の渡らねばならない沢は、まだ増水していないが濡れるのは覚悟しなければならない状況だ。
これはかなり苦戦するかも知れないと少々落ち込みながら、簡単な夕食を食べ、暗くなるのを待って早々に寝袋に潜り込んだ。
真夜中、変な音に気付いて目覚める。木の音でもない、動物でもない、勿論人工の音でもない、何だ?
しばらく息をひそめて確かめる。
どうやら、フクロウの声だったようだ。「ボ〜〜!」しばらく置いて「ボ・ホ〜、ボ・ホ〜」
判ればどうと言う事ないが、気味の良いものではない。
0400に起き出し、準備を整え、0430にヘッドランプを点けて尾根に取り付く。
昨日見た通りの急斜面、とても直登出来ずジグを切りながら登って行く。
スノーシューを履いても脛から膝位までのラッセルだ。
堅雪にアイゼンを軋ませ快適にという淡い期待は、妄想と消えた。
標高100mを登るのに概ね30分掛かっている。
C600mを過ぎると尾根は次第に細く狭くなり始めた。
周囲がほのかに明るくなり始め、薄桃色に色づいた空をバックに野塚岳が姿を見せ始めた。
夜が明け始めた
C750m辺りから地図では読めない小さなアップダウンが連続し、足巾程度のナイフリッジも出てくる。
木々が密集しているから然程怖くはないが、両側が切れ落ち緊張する。
愚直な尾根を行く
次第に明るくなり、左手に見える野塚岳もその全容を現した。
東峰と西峰が双子のように屹立し、その中央にニオベツ川南面直登沢が突き上げている。
中々の光景、仲間たちと遡った時の事がアルバムを開くように思い出される。
野塚岳
そして左下を流れる「上二股沢」を挟んで聳えるオムシャヌプリが大きく逞しく見える。
木々の間から下降予定尾根を観察すると、尾根途中のC790mPから南西に延びる支尾根に林道が付いているのを発見した。林道はそのまま沢へ降りているようだ。
下りは、このルートにしようとしっかり地形を頭に刻み込む。
オムシャヌプリ(右)
歩き始めて3時間半、1148mPで森林限界に出た。
計画ではここまで3時間は掛からないと思っていた、やはりラッセルのせいなのだろう。空は青く澄み切り、燦々と降り注ぐ陽光、グルリと立ち並ぶ山々、疲れ等吹き飛んでしまいそうな光景、景観である。
目指す十勝岳もその勇姿を尾根筋とともに惜しげもなく現している。
十勝岳(右)
大休止してコーヒーやリンゴを食べながら、十勝岳へ続く尾根筋を眺める。
このペースだと、まだ2時間近く掛かりそうだ。無機質な雪と氷の世界を予想してきたが、以外に生き物の気配が多いのに驚く。
兎、狐、テン、リス、ネズミなどの足跡が結構付いている。
エゾクロテンと思われる新しい足跡が私を誘導するかのごとく、尾根を山頂目掛けて歩いていた。
しばらく緩やかにアップダウンが続く尾根を歩き、再び登りにかかる。
高度を上げてゆくにつれ、北の主稜線に連なる日高の山々が徐々に姿を見せ始める。
見える、見える。遠くまでクッキリと見通せる感じである。野塚岳の奥にトヨニ岳、ピリカヌプリ、神威岳、1839峰・・・。
左から、神威岳、1839峰、ピリカヌプリ(中央)、トヨニ岳
十勝岳の姿も大きくなって、山頂部も良く見えるようになってきた。
長い尾根、長時間の一人ラッセル、疲れも感じ始めたが気力は十分、まだまだ頑張れる。
大きくなる十勝岳
周囲の景観に励まされながら、最後の標高差200mを登って行く。
斜面は堅雪と新雪が入り交じり歩きにくい。ふと、目の端に動くものを感じ目を上げた。
冬毛もフサフサしたキタキツネが30mほど先を歩いている。
そして立ち止まり後ろを振り向いた。目と目が合う。「や〜、こんにちわ!」今日初めて合う生き物だ。
彼も私をじっと見ている。
10秒程ジッと見ていたが、私が足を進めると上へと走り去った。
山頂部へ何をしにきたのだろうか? 春になって活動も活発になってきたのかなと思った。
山頂へ
山頂直下は氷に近い堅雪、斜度もきつくスノーシューでは少し不安だったが、歯を蹴り込みそのまま登り切った。
懐かしい十勝岳山頂は夏の荒々しい表情とは全く違う、白く輝く女神の表情で迎えてくれた。風も無い、溢れる陽光、暖かい。昼寝をしたくなる雰囲気だ。
東には今まで見えなかった十勝側の平野、太平洋が新鮮に見える。
北の主稜線、広がる山々の大景観
そして何よりのご馳走は、広がる大景観だ。
主稜線の彼方遠くには、1839・カムエク・幌尻・戸蔦別・エサオマン・札内・十勝幌尻などなどがズラリと立ち並んでいる。
ピリカヌプリ(中央)と神威岳(左)の奥に北・中部日高の山々が
雲一つない、こんなに透き通った大展望は滅多に見られない。
何と言う幸運、心まで透き通って行くようだ。
上の写真の右(東)へと続く北日高の山々
十勝岳の狭い山頂にどっかと腰を据え、惚けたように山々に囲まれた幸せな時間を過ごす。
「素晴らしい、素晴らしすぎる!」
熱いコーヒーと四国の友人が贈ってくれた特上の美味しいみかん、大景観で一段と美味しく、嬉しく頂ける。コンビニで買った安物の菓子パンだって一味違って食べられる。
楽古岳
十勝岳の南東には楽古岳が堂々とした姿で佇んでいる。
夏に楽しんだ山頂へ突き上げる沢には雪が一杯だ。そして南にはピンネシリ・吉田岳・アポイ岳が端正な姿を見せていた。
アポイ三山
何処かの沢が雪崩れたのだろうか、「ド〜ン、ゴ〜〜!」嫌な音が響いた。
久しぶりの十勝岳で思う存分寛ぎ堪能した。
一人ラッセルのお陰でかなり疲れはあるが、時間はまだ11時だ。
予定通りオムシャヌプリを経由して行こうとアイゼンに履き替える。
オムシャヌプリとのコルへは、とてもスノーシューで降りる気にはならない斜面なのだ。履き替えて、荷物をパッキングした時、大変な事に気がついた。
ナイフや予備電池などの小物と共に財布や免許証を入れた袋が見当たらないのである。
荷物を全部出して確認しても無い。正直、青ざめた。
懸命に思い出す。
出発する時、車上狙いが怖いから袋に入れてザックに入れたのは覚えている。
1148mPで休憩した時、リンゴを食べるのにナイフを使った。そうだ、休憩した1148mPに置き忘れてきたに違いない。
もう、オムシャヌプリどころではない。
急ぎ、往路を引き返す。
急がなくたって、誰も来やしない。大丈夫だ。
そう思いつつ、自然に足は速くなる。
もう一人の自分が「慎重に、慎重に、注意して!」と叫んでいる。1148mPに戻ってきた。
「あった〜!」 財布も免許証も入っている、良かった〜!遠くなった十勝岳に「お騒がせしました」と一礼して樹林帯へと下り始めた。
下山時、十勝岳を振り返る
やれやれと一安心しながら、樹林帯の狭い尾根を下り、比較的安心な所まで降りてきた。
安心して気が抜けたのか、疲れが出たのか、何でもない箇所で何回も転び、滑るようになった。
転んでも直ぐに立ち上がれない、そのまま寝転んで休みたい。
ノロノロ立ち上がり、しばらく行くとまた転ぶ。面倒くさいと、急な斜面では尻滑りで降りる。
方向をうまく制御できず木にぶつかりながら、大量の雪とともに滑り落ちる。
チョッピリ申し訳ない事をしているような、恥ずかしいような気持ちになった。年々体力が落ちているのは自分が一番判っている。
それでも昨年は12時間以上の山行を何回か行った。
今日はそれに比べたら9時間だ。
一人ラッセルがボディブローのように効いたのかも知れない。より慎重に、自分の不始末で人様にご迷惑をかける事のないよう、自制しながら山を楽しまなくてはと、改めて思った。
GPSトラック