「イザベラ・バードが辿った道」フットパス

日高  2014.9.15(月)  晴れ

 


 

沙流川
イザベラ・バードが辿った沙流川沿いの風景

 

イザベラ・バード

皆様は「イザベラ・バード」と言う人をご存じですか?

私は恥ずかしながら全く知りませんでした。
新聞の「日高に新たなフットパスが整備」との記事、それがイザベラ・バードという人が歩いた道を辿ることを目的に作られたと知ったのです。

どんな人か、私と同様ご存じなかった方のために簡単に触れておこう。

イザベラ・バードはイギリス人で1831年〜1904年、すなわち幕末から明治後期の時代を生きた婦人。
若い頃から世界各地を訪ね歩いた旅行家・探検家で多くの紀行を残している。


日本旅行中のイザベラ・バード


日本には1878(明治11)年6月に来日、6月から9月にかけて東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した。

足跡
イザベラ・バードの北海道での足跡



この時の紀行記「日本奥地紀行」では、日本人の容姿の貧弱さ、礼儀正しさ、貧困、治安の良さなどを特筆しているそうだ。

 

フットパス

イザベラ・バードが旅した道の、富川から平取までの約15Kmを「イザベラ・バードの道を辿る会」の人達が整備したそうなのだ。

どんな道なのか、自宅から近いこともあり歩いてみることにした。
フットパスの出発点は富川の門別図書館である。


近未来的な造形の門別図書館

 

図書館の駐車場脇にフットパス案内表示板があり、分かり易い説明が記されている。

フットパス案内板
フットパス説明板

 

そしてコース案内標識が設置してある。
このコース指示表示がコースの要所要所に設置され、これに従って歩けばゴールの平取へ行けるようになっている。

支持板
コース指示板

 

朝の光の中を

イザベラ・バードというご婦人の人となりとコースの概要を頭に入れ、早速歩き出す。
道は図書館の裏から沙流川の左岸の堰堤へ出て上流へと向かう。


朝の光を受ける門別図書館を後に

 

何の変哲もない堰堤上だが、アカツメクサやヒメジョオン、マツヨイグサなどが結構咲いている。
朝日に輝くツリフネソウや光っている朝露の新鮮さに、はっとする。
何気ない所にも思わぬ美しさが隠れているものだ。


ツリフネソウと朝露

 

間もなく道は舗装された町道に合流、競走馬の牧場地帯を進んでいく。
道の両側の牧場は皆広大でたいそう立派。
牧場主さんの豪邸はもちろん、馬の住む厩舎でさえ私の家より格上だ。
一頭、何千万も何億円もするのだから当たり前といえば当たり前か?

比較すること自体無意味なのは百も承知だしそんな貧しい思いにとらわれる自分が情けないが、この道はイザベラ・バードの歩いた道を辿るというより、貧富の差・富の力・価値観の違いなどに思いを致さざるをえない道でもある。
もしかしたら、イザベラ・バードさんも西洋と日本の格差、価値観の違いなどを感じながら歩いたのかも知れないな・・・。

そんな思いをただすように放牧中の母子馬は安心しきって寄り添い寝転び、道沿いの草むらには由緒正しき雑草のマツヨイセンノウが白く美しい花を見せていた。


マツヨイセンノウ

 

ターニングポイント

歩き出して約1時間半、コースの概ね中間点である紫雲古津大橋へ。

大変立派な大きな橋、これまで休めるような所もなくひたすら歩いて少々疲れた。
日陰もベンチもないが、橋の中間で川を眺めて一休み。


紫雲古津大橋にもフットパスの案内表示が

 

ぼんやり橋の上から眺める河川敷は以外に生き物の気配が濃厚、賑やかだ。
アオサギ・アカゲラ・飛び交う小鳥たち・目が合ったエゾシカはそっと姿を茂みに隠す、うっすら見える道は鹿道なのか?

流れる沙流川は木々の緑と空の青を映し穏やかに流れている。
明治の頃には畑はなかったろうから、苦労して藪を漕いだり船に乗って遡ったのだろう。

沙流川
空や木の色を合わせて流れる沙流川 河川敷は以外に賑やか

 

紫雲古津大橋を渡って直ぐに右折、沙流川の右岸堤防を歩くようになる。
堤防上にはヤナギタンポポが花を咲かせている。


ヤナギタンポポ

 

道は牧場地帯とは雰囲気が違る農村地帯へ、田畑やビニールハウスが広がり心やすまる光景だ。
そんな中をゆったり進んでいく。
時折出会う地元の人達はよそ者にも明るく挨拶してくれ気持ちが弾む。

田園地帯
田園地帯を行く

 

渡ってきた紫雲古津大橋は、地道にコツコツ額に汗して働く人達と派手に一攫千金夢を追う人達との境界の橋、ターニングポイントではなかろうか?

道端にはサワヒヨドリの薄いピンク色


サワヒヨドリ

 

畑のあぜ道には捨てられたニラが花を咲かせ、何の花かと迷うほど

ニラ
ニラの花

 

ここは平取、「ニシパの恋人」で一躍有名になったトマトの一大生産地である。
歩く農村地帯は一面ビニールハウス、時すでに9月だがハウスには色づいたトマトが鈴なりだ。

 

自然の道

道はやがて国道沿いとなり、しばらく車の排気ガスと騒音に悩まされる。
平取の町に入ると、道は高台に導かれ自然遊歩道へ入っていく。
イザベラ・バードが歩いた道では無いようだが、自然の道は気持ち良くホッとする。

自然遊歩道
自然の道は気持ち良い

 

自然林、唐松林、白樺林、どれも空気が綺麗で気持ちが落ち着く。
フットパスはこうでなくちゃ。


松ぼっくりや栗ひろいも楽しめる

 

唐松林の日陰に木漏れ日が差し込みシダが照らされ輝いている。
シダの黄緑が燃え立つようで美しい。
その表情を切り取ろうとシャッターを切ったが私の腕には、ちと余る。

輝くシダ
木漏れ日に光り輝くシダの群れ

 

義経神社

フットパスは義経神社の参詣道前がゴール。
ゴール地点の案内板で歩いた道を確認する。

経路図
富川〜平取間のフットパス経路図


完歩したお礼を兼ねて義経神社にお参り。

広い境内は隅々まで手入れがなされ清々しい。
ご神木が栗の木と言うだけあって、栗の木が多く季節柄実がたくさん落ちている。
小さな山栗だがつやつやして可愛くきれい、飾りにしようと少し拾い集めた。

境内
清々しい義経神社の境内

 

神社は歴史を感じさせる立派なもの。
義経が生き延びて北海道にやってきたという義経伝説は眉唾ものだが、新冠の判官館など北海道には多くの義経伝説があり何らかの縁があるのは事実なのではなかろうか。

義経神社
義経神社

 

神社の由来を読んでいて気が付いた。
お正月にサラブレッドに騎乗したまま長い石段を駆け上り初参りするTV映像を何度も見ていたが、それがこの義経神社なのだった。

その馬が駆け上がる長い石段がこれ。

石段
騎乗して初参する義経神社の石段

 

神社は義経公園と隣接していて広大な小高い森となっている。
歩いていると桂の綿菓子のような甘い香りが漂い、秋を感じさせる。

境内の近くには最近少なくなったエゾノコンギクが咲いていた。


エゾノコンギク

 

歩いてみて

新しく出来たフットパスと聞き、期待を込めて歩いてみた。
何の知識もなく歩いたのだが、ほとんどが平地で危険な所も無い気楽に歩けるフットパス。
集落や町並みが常に見えていて幹線道路にも近く、体力のない人や地図を読めない人でも安心して歩ける道だと思う。

歩く殆どは舗装された道、服や靴を汚すこともなく、地元の人達と挨拶を交わしお話を聞くなどふれ合いも手軽に出来そうだ。
その反面、自然を感じられる場は多くない。
平取に入ってからオマケのように自然遊歩道があるだけだ。

コース標識も設置されているが、親切かというとそうでもない。
コースの概要を頭に入れてないと見逃す可能性が大である。
出来たばかりだから仕方ない面があるが、四国歩き遍路などのノウハウを参考にしたら良いと思うのだが・・・。

そして約3〜4時間のコースの途中に休憩できるポイントが皆無。これは辛い。
是非検討して頂ければと思う。

イザベラ・バードさんが何を感じ何を思って歩いたのか、そんなことを感じさせ考えさせる道を目指してさらに手を入れ整備して欲しいと感じたフットパスであった。

 

オジロワシ歌壇

 

 

・放牧の馬の親子は寄り添いて
       秋となりゆく風とあそびぬ

・伝説の義経神社に甘き香を
       放ち桂は黄の色きざす

 

 

 

 

 

 

 

 

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