異変?
最近異常気象と呼ぶに値する激しい天象気象が立て続けに起きていて、まさに地球が悲鳴を上げているかのように感じられる。
自然が何万年も何十万年もかけて蓄えた石油や石炭などの資源をわずか数十年という短期間で採り尽くし、憚ることなく燃やし続けているのだから、地球自身もそれを包み守ってきた大気もこれは堪らんと悲鳴を上げ、異変が起きても仕方ないという気がする。
この8月も例外ではなく、2週間の間に4個の台風が北海道・東北を襲い各地に洪水や高波・土砂崩れなどが数多く発生し多くの方が被災された。
農作物や水産物が大きな被害を受け、鉄道・道路・橋が至る所で崩壊するなど、自然からのしっぺ返しとも受け取れる災害が日常茶飯事化しているように受け取れる。度重なるこのような大被害に対して、一介の老人としては心からのお見舞いを申し上げるしか出来ないのだが、何とか刹那的な幸せのみを考える今の風潮から脱却し、将来の子孫たちに思いを致し、自然を支配するなどという傲慢な態度を改め畏敬の念を持って謙虚に接する姿勢へ変換することが出来ないものかと考えるのである。
小さな秋
そんな訳で8月は被災された地域や人々を横目に山で遊ぶなどとてもその気になれず、静かに過ごしていた。
それでも庭の手入れをしたり近所を散歩しながら観察していると、まだ残暑であるにもかかわらず植物たちは葉の色を少しづつ変え、夏の花は錆色をまとい、秋の花達が赤紫の蕾をふくらませているのに気づくと思わず微笑みたくなってくる。
空にも澄んだ青が目立つようになり、日差しは強いが日陰に入れば清々しく、雲も積雲から層雲に、気温も朝晩は凌ぎやすい。
忙しく働いている方々には難しいだろうが、明らかに秋の気配が漂い始め、小さい秋がそこまでやってきているのを実感することが出来る。そこで今回はそんな秋の気配、小さい秋を探してみることに・・・。
散歩道でみつけた、小さい秋
私がよく利用する散歩道は、林の脇や土手、高規格道路の盛り土の近くを通っている。
夏には濃い緑だった葉は、黄色や橙色が少し混ざった緑に変わりつつある。
それだけで落ち着いた雰囲気に感じられ、秋を感じさせられるのだから不思議である。時期を少々過ぎた萩が残り少ない花を咲かせていた。
この花の楚々とした佇まいは誰にでも秋を感じさせるのだろう、秋の季語ともなっていて多くの詩人・俳人が初秋の詩を謳っている。
白樺林に咲いていた萩
散歩道から薄暗い林内へ目を凝らせば、チョウセンゴミシやオオカメノキ、エゾコリンゴ、カンボクなどの赤い実が目立ち始め、ノリウツギの花が錆色を帯びて萎びている。
土手では直立して焦げ茶だったススキの穂が白く変わり、光った穂をなびかせている。
お月見に薄は欠かせない秋の風物詩だ。
ススキの穂も白くなり、お月見ももうすぐ
高規格道路の盛土には北米産の帰化植物であるネバリノギクやユウゼンギクが我が世の春を謳歌している。
この外来種の花に押され、日本古来のエゾノコンギクは駆逐されつつあるようなのは残念だ。
ネバリノギク
そして人家近くの空き地には、どこから飛んできたのかコスモスが元気に花を咲かせている。
風に揺れるコスモスは、華やかなのに秋を感じさせるものだ。
園芸種が捨てられたのか八重のコスモスも花をつけているた。
オレンジの八重のコスモス
庭先でみつけた 小さな秋
我が家の狭い庭にも、良く見ると秋の花達が顔を覗かせ始めている。
まずは、タイワンホトトギス。
形はヤマジノホトトギスなどと同様なのだが、赤紫の色が秋を感じさせるのだろうか?
涼風にそよぐ赤紫のホトトギス、落ち着いた風合いにはやはり秋が似合う。
タイワンホトトギス
うら寂しさを漂わせるワレモコウも秋を感じさせる花、オミナエシやススキと一緒に咲いているシーンは侘び寂びを感じさせ、とても素敵だと思う。
ワレモコウ
カミさんが好きなフウセンカズラ、僅か数ミリの白い花には蜂がひっきりなしに訪れ無理やり体を花の中に捩じ込んでいる。
風船の名の通り実をフックラと膨らませているが、控えめでおしとやかな花である。
フウセンカズラ
庭の一角に5本ばかりのブルーベリーが植えてあり、熟した実をヨーグルトに入れて楽しんでいる。
今年は何故か、その内の一本が実も殆ど付けないまま早くも紅葉しだした。
一見元気そうなのだが、どこか調子が良くないのかもしれないと心配しているけれど、その紅葉の見事なこと。
艷やかで美しく見入ってしまう、今年はお礼肥をたっぷりあげなくちゃ。
早くも紅葉してみせた ブルーベリー
家庭の庭で秋を感じさせるはなといえば菊ではなかろうか。
我家の庭でもその先駆けの秋明菊が咲き始めている。
秋の花には間違いないけれど、侘び寂びと言う雰囲気からはやや遠い艶やかな華やかな花ではある。
薄ピンクのシュウメイギク
白の一重のシュウメイギクは明るいけれど楚々とした雰囲気を持っている。
白のシュウメイギク
紋別岳でみつけた 小さい秋
支笏湖に遊びに来た人や観光客の人達を対象に、より自然を楽しみ親しんで頂くことを目的にしたボランティアの会がある。
私もその一員で、年に6・7回の頻度で活動に参加している。9/11(日)、そのボランティアの有志だけで紋別岳を歩く催しが行われ参加してきた。
仲間だけだから、いつもの様に解説したり気を配ったりすることも無く、地元出身の人は自身が伝え聞いた昔話を語り、羆に襲われ格闘した人はその体験談を坦々を語り、夫々の身近な話題で盛り上がりながら、木洩れ陽の登山道を歩き、ゴミを拾い倒木を片付けながらの清々しくも楽しい山歩きだった。紋別岳でみつけた小さい秋の主役は、雲。
夏の名残を思わせる小さな積雲と刷毛で掃いたような高層雲が青空をキャンパスにして描き出す絵はまさに秋を感じさせるものだった。
空にも小さい秋を感じさせる掃いたような雲が
お天気も上々で眺望も素晴らしく、昼時だというのに日高山脈や増毛山地の山々まで見えた。
支笏湖に立つ小さな白波が陽に輝いでキラキラ眩しい、湖面には雲の影が映しだされていた。
樽前山と風不死岳
素晴らしい景観を楽しみながら、次は湖岸沿いを歩いてみたい、モーラップ山はどうか、紋別岳の高圧線ルートは厳しいのか など話題も尽きない。
山頂から南西方向 右手には徳舜瞥山・ホロホロ山が見えている
ボランティアで行っている自然観察会の新しいアイディアを話し合う。
室内での構えたミーティングではなかなか出ない方策も、このような開放的な雰囲気だと気楽に話し合えて良いものだ。
山頂から西側方向 恵庭岳の左のポコは丹鳴岳
持参のお昼ごはんを楽しみ、記念撮影や大景観を存分に楽しんでのんびり下山した。
ただ気になったのは、紋別岳で例年見られる秋の花が殆ど見られなかったこと。
エゾオヤマリンドウが数株、エゾノコンギクは無かったし、センボンヤリも僅かに見られたぐらい。
元来そんなに花の多い山ではないが、こんなことは記憶に無い。心配だ!
一緒に同行してもらったメンバー達
今回は身近なところで感じた「小さい秋」をご紹介した。
9月も中旬以降になれば、いよいよ秋本番である。例年通りの素晴らしい紅葉が見られるよう祈りたい。