北山崎海岸
岩手山を下山し、私達の山旅も中盤に差し掛かってきた。
順番から言えば次は早池峰山か栗駒山なのであるが、天気予報は雨がち。
そこで宮古に居る今回の大津波で被災されたカミさんの友人のお見舞いを兼ねて三陸海岸や地底湖で有名な龍泉洞などを見てまわることとした。盛岡から龍泉洞へ向かう。
岩泉町へ着くとお目当ての龍泉洞は大雨の影響で水位が上がり水没状態となり閉鎖しているとのこと。
残念だが仕方がないと諦めた。
時間もあるので岩泉町をブラブラしていると道の駅やお店で、地元の婦人部の方たちが作ったとても硬いしっかりしたお豆腐や、「ひゅうず」と言う粉を練った皮にくるみ味噌を包んで茹でた餃子のような形の郷土菓子や栗ご飯・おはぎなどを見つけ、試食させてもらうととても美味しい。
気に入って購入、今晩の食事にすることに。
また「がんばろう岩泉!」のTシャツや岩手りんごも購入した。
岩泉から北山崎へは田野畑村から海岸を北上して向かう。
それまでは大地震や津波の被害や影響など感じなかったのに、海岸に出た途端TVで何度も見た土台だけになった住居や商店街、港の様子が目の前に広がった。
実際に見る、被災者の立場になって感じる、防波堤がちぎり取られたように無くなっている、トンネルから川を挟んだ次のトンネルまで線路がぶら下がったままになっている、高台に残った家々の1m下まで一切合切が流され無くなっている。ここには住んでいた人達の生活が、平穏な生活があったのに、全てが無くなってしまっている。
こんなにひどい状態だとは思わなかった、勝手に想像していたより数倍・数十倍もひどい惨状である。
胸の潰れる思いとはこういうことを言うのだろうか?
全く言葉もない。
北山崎は陸中海岸の中でも最大級の断崖絶壁の景勝地。
周辺は景勝地として綺麗に整備されており、気持ちよく歩くことが出来る。この日はあいにく雨がちのお天気だったので青い海に白い波しぶきの景観は望むべくもなかったが、それでも見る価値十分、満足する景観であった。
特にこの付近の海岸線は赤松に覆われ独特の風情を見せていて思わず松茸を探したくなったほどだ。
第一展望台から
駐車場から5分ほどの散策で第一展望台、更に遊歩道が続き第二展望台に行くことが出来る。
道の傍には浜菊が可憐な花をつけていた。
浜菊
展望は第二展望台からのほうが複雑に入り組む断崖の海岸線をしっかり見ることが出来る。
晴れて日差しがあったならさぞかし素晴らしいだろうと思う景観である。
第二展望台からの景観
北山崎海岸では希望すればザッパ船という漁船に乗せてもらい断崖を縫って観光できるらしいが、この日は漁師さんの都合がつかないとかで楽しむことはできなかった。
どうしてもという方は予約をしたほうが良いでしょう。
鵜の巣断崖
北山崎から宮古の浄土ヶ浜へ海岸線を南下した。
入江という入江、漁村や港が軒並み津波の被害を受けていた。
復興のための工事が所々行われているが、遅々として進んでいない様子だ。
まだ大きな岩が今にも落ちてきそうな所や道路が陥没したままの所も多い。お正月のご来光で有名な浄土ヶ浜。
壊れた建物などは片付けられつつあるが、観光船の発着場や休憩所などは無残な姿を晒したままだ。
浄土ヶ浜展望台で
平日で雨模様とあって、観光客の姿もまばら。
このままではとても観光で成り立ちはしないだろう。
浄土ヶ浜
ここだけでなく各地に明治の大津波、昭和の大津波から立ち直った記念碑が立てられていた。
この地の人々は大津波に対する知識、警戒は人一倍のものを持っていたのに、今回も大きな被害を受けた。
心の痛手を回復し、明るく将来を見渡せるようになるためには、相当の期間に渡る手厚い支援が必要であり、それには私達国民一人ひとりが痛みを一緒に感じることが何より大切なのではなかろうか。
明治の大津波と昭和の大津波から立ち直った記念碑
この松も津波を被ったのだろうか
午後からカミさんは十数年ぶりの友人と会う。
その間、私は宮古市内をぶらつく。
市民生活は概ね平常に戻っている印象だが、信号が停まっていて警官が手信号で誘導しているなど震災の影響はまだまだ残っている。後からカミさんに聞くと、友人のご実家であった廻船問屋は跡形もなく流され、先祖の位牌が一枚見つかっただけという。
被災の状況や苦労した話を聞いて、一緒に涙してきたようだ。
私としては、ただウンウンと話を聞くだけだった。
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