栗駒山山頂付近の紅葉
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栗駒山
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栗駒山は高山植物の多い山でもあり、秋の紅葉でも名を馳せている。
山体全部が真っ赤に染まる見事な紅葉の写真を何度も見ていて、今回の山旅のハイライトとすべく、その見頃の時期に栗駒山を訪れようと計画した。
ぜひともカミさんと紅葉の栗駒山を歩きたいと思ったのだ。
昨日早池峰山を下山後、花巻市・北上市、奥州市を経て栗駒山登山口の須川高原温泉へと車を走らせた。
途中北上市で盛岡冷麺の昼食を食べ、奥州市で世界遺産に登録された平泉中尊寺や毛越寺を見物しようと立ち寄った。
が、目に入ってきたのは静かさとは裏腹の喧騒、あまりにもの人出に恐れをなし中尊寺の山門も見ないで退散してしまった。須川高原温泉は旅館部と自炊部があり、旅館部に泊まるにはかなりのお値段が必要だ、自炊部には安く泊まれ自炊部の食堂で食事も出来ると聞いて宿泊を申し込んだ。
同じ山の宿である八甲田の酸ヶ湯温泉と同様の対応を期待したのだが、そうは上手く行かなかった。
部屋が古いのは何ら問題ないが、布団が湿っていてひたすら重いのは車でシュラフで寝たほうが快適だった。
さらに自炊部食堂の食事は食事とは言えない餌。あんなひどいものはここ何年もお目にかかったことはないという代物で本当に驚いた。
自炊部に泊まろうと思っている方はシュラフ持参で、食材も持参し自炊されるほうが快適でストレスもたまらないと思います。
10/2は日曜日とあって朝から須川高原温泉の駐車場には車が続々と到着している。
紅葉の時期に合わせて皆さんお出でになるのだから混雑は仕方がない。
何時もは自分たちのペースで気ままに歩くのを至上としている私達だが、この日ばかりは我欲を殺し皆さんのペースに合わせ紅葉見物をすることにした。
高原温泉横の源泉が滔々と川のように流れる所から裏手に歩いて名残ヶ原へと向かう。
野原には所々温泉の煙が漂いだしている。
この日の天気は生憎の雨、低い雨雲が垂れ込め栗駒山は雲に隠れている。
しっかり雨着を着て防寒着もザックに入れ、温かい飲み物も用意しての栗駒山登山である。
湯けむりの漂う道を
草紅葉の原を愛でつつ敷かれた木道を淡々と歩けば、温泉の成分で黄緑色に変色したと思われる昭和湖という小さな湖に出た。
木道をのんびり歩く
皆さん、ここで一休みのようだ。
不思議な色をしている昭和湖
昭和湖から少し真面目な登りになる、とは言っても僅かな距離である。
樹林の間から紅葉した山肌が見えるが、赤の鮮やかさに欠け茶色が強いように感じる。
その代わり薄茶色から赤までの色の変化、グラデーションが複雑で美しい。
紅葉の山肌
稜線に出て山頂を目指し左に進む。途端に風が強くなってきた。
体を冷やしてはと、天狗岩という大岩の陰で雨着の下にダウンを着込む。雨雲に覆われ山頂は見えないが、山頂付近の紅葉はさすがに美しく何度も写真で見た光景が目の前に広がり感動する。
カメラのセッティングを変え何枚か写真を撮る。
栗駒山山頂部に広がる見事な紅葉
雲が風に飛ばされ僅かな間視界が戻る、そのたびに登山者たちの歓声が上がるが次の瞬間には閉ざされてしまう。
紅葉の稜線を行く
僅かな稜線歩きで栗駒山の山頂である。
雨は降り続き風は強い、宮城側のいわかがみ平からも続々と登山者達が上がってくる。
子供連れのファミリー登山の人達も多い。お天気だったら思い出深い家族登山になっただろうに・・・。山頂部の紅葉を通して須川温泉やいわかがみ平が見え、山頂は大賑わいだ。
山頂から須川温泉方向
栗駒山山頂にも祠が祀られていて、東北の山と信仰との深い関係が窺い知れる。
多くの人が神様の前に進み出て頭を下げている。これも信仰心といって良いのだろうか?
難しいことは言わず、私達も一礼する。
栗駒の神様に一礼
さして広くない山頂は人で溢れ、立錐の余地もないぐらいになってきた。
晴れ間を期待してもう少し山頂に居たかったが、譲り合いの気持ちで下山することにする。
山頂部の極上の紅葉を慈しみながら往路を戻る。
だが人が多くて余韻を楽しんでいる暇もないぐらいだ。
素晴らしい紅葉を余韻に
狭い尾根道を下っていると、30人以上のパーティが何組も続々と登ってくる。
登り優先ということで待っていると降りることができず10分以上も動けない。
譲り合おうという気持ちのリーダーは皆無、悲しくなる。それに対して、登ってくる人達に突っ込んでいく強引な下降グループも居る。
目の前で繰り広がる醜い争いに、カミさんと顔を見合わせて苦笑いするばかりだ。
人ごみに揉まれながら、やっとの思いで下山。
泥だらけになった靴を洗い、温泉で汗を流す。
雨で冷えた体と喧騒で冷えた心が温泉で溶かされ温められ、人心地。栗駒山の紅葉は見聞きしていたとおり美しく素晴らしいものだった。
だけど何時も気ままに歩くことに慣れきっている私達には、栗駒山のような人気の山に人気の時期訪れるのは無理があると感じた。自分たちのレベルにあった山を人様に迷惑をかけずに気ままに楽しんでゆくのが合っているのだと思う。
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