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修行の道場へ
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午前中に一雨あるかもと言う予報だったので、雨衣のズボンを履き上半身はTシャツとした。
国道を歩く事約1時間強、宍喰の町。
ホテルや道の駅もある町だ。
見頃になったミモザの花が雨に濡れ、目を引く。
見頃だったミモザの花
海は波立ち、白い波頭がしぶきを上げ打ち寄せている。
ここで秋田から来た白装束で正装した70歳代の女性と一緒になる。
毎年のようにお遍路に来ているが、いつも高知で足が痛くなったり、膝が痛くなって帰っている。
それでも毎年来たくて来ているのだと言う。
今年は歩き通せると良いですね、と話す。
宍喰の海
水床トンネルを抜けるといよいよ高知県、修行の道場への入り口だ。
正直、何時になったら徳島県を抜けられるのだろうと感じていた。一歩一歩の積み重ね、足を交互に出していさえいれば進んで行く、出さなければ進まない。
魔法は使えない、ただ足を出すことだけを繰り返して行こう。甲浦の港を過ぎると間もなくホワイトビーチ、そこの海の駅で一休み。
晴れ間も見え始めた。
ホワイトビーチ
漁師と思われる方に天気を聞く、「雲がまだ溜まっているから、ポツポツくらいはあるだろう」とのこと。
カミさんは降るかも知れないと言うのだから、もう少し雨衣を着ていましょうと言う。
でも大丈夫だと勝手に判断して、雨衣のズボンとスパッツを脱ぎ、ジャージに着替える。(これが大誤算になるとは・・・)この付近には立派な港が多く、漁船も沢山停泊している。
カモメならぬ白鷺が漁船に群れているのが私達には新鮮に見えた。
涼しくて気持ち良いとルンルン気分で歩き、東洋大師明徳寺へ、小さいが気品のあるお寺だ。
山門では、おとなしい優しい目をした犬が出迎えてくれた。
丁度、黄色の法衣を着た住職さんが午前のお勤めをされている真っ最中。
東洋大師にて
お参りして、弘法の滝と言う修行の滝を見て、住職のお勤めが終わるのを待って納経して頂いた。
東洋大師の修行の滝
東洋町野根の古い町並みを歩いていると雨が降り出した。
すぐに止むだろうとそのまま歩く。
この町は「野根まんじゅう」で有名らしい。
買うよう声をかけられたが、荷物を増やすのも面倒なので止めておいた。
期待に反して雨は降り止まず、逆に篠突くような雨になりすっかり濡れてしまった。
有り難い事に気温が高く、濡れても気持ちがいい位。
雨衣を着ても同じとそのまま濡れて歩く事にした。高知県に入ってから休憩小屋が少なくなり、2時間に一つあるかどうかである。
雨は止むどころか次第に強くなり、叩き付けるように降り出した。
道路は瞬く間に川のようになり、排水溝に入り切れない雨水が深さ3〜5cm位のプールと化している。大型車が通るたびにその泥水を何度も頭から浴びる。
最初は悲鳴を上げていたカミさんも、何も言わなくなり「泥水がだんだんきれいな水になって、お洗濯してもらっているようなものね」と開き直る。(いいぞ! その調子だ!)
室戸へ続く海岸線
お腹が空いて来たが雨をしのげる所が見当たらない。
高台に小さなお堂を見つけ、2人がギリギリで立って雨を避けられる軒先を借りて立ったまま昼食。
雨だれがしみ込むおにぎりの味も乙なものだ。
考える事は皆同じらしく、3人のお遍路さんがそのお堂へやって来た。
急いで食事を済ませ、遅まきながら雨衣に着替え場所を譲る。海の駅で早とちりせず、雨衣を着ていたらこんなに濡れる事は無かったのにと反省しきり。
これが、修行の道場の歓迎式典なのだろうか?その後も雨は強く降り続き、雷も鳴りだした。
気休めに2人で俳句や短歌もどきを作っては、誰にも聞こえないからと大声で披露し合い気を紛らわす。
季語もへったくれも無い、単なる文言の並べ遊びだ。「土佐ノ海、ドド〜ン・ドカ〜ンと波騒ぐ」
「もっと降れ、槍でも鉄砲でも持ってこい、おいらは平気、笑ったる」キョウチクトウの大木が道路脇に沢山植えられ、さすが南国と感心する。
晴れていれば、美しい海だろうに激しい波音と白い波頭が恐ろしい位だ。
佐喜浜の港を過ぎ、後少しだと休みも取らず歩き続ける。
道路に跳ね返る雨脚が10cmほども跳ね上がって、泡が出来ている。
子供の頃に見た記憶がある、豪雨の中なぜか懐かしいような気分を味わった。
雨なんかに負けるか
だんだん無口になり、うつむき加減に歩いていたカミさん「もう通り過ぎたんじゃないの?」疲れているんだ。
頑張れ! 頑張れ! 宿が見えて来たのは間もなくであった。
尾崎の海
雨の中、33.7kmを歩き切ったカミさんを誉めてやりたい。
ご褒美はマッサージかな?今日の宿「ロッジ尾崎」はおかみさんと若おかみが共に大変心細かに接客し気を配ってくれ、設備そのものはやや旧式で使いにくい面はあるけれど、掃除も行き届き清潔で気持ちが良い。
到着すると、笑顔で濡れた雨衣やザックカバーなどを干してくれるし昨日のリゾートホテルとは大違いだ。
宿舎では通常泊まっているおへんろさんが一緒に食事をとる。
そのときの話題は色々だが、食事の話、宿の話、印象に残った事、お寺の事などが自然に多くなる。
大体明るくていい話が多く、聞いていて気持ちも良い。
例外はお寺に関する話題だ。札所のお坊さん達のお遍路に対する対応、檀家に対する対応、宗教者としてより経営者としての顔などが俎上に上がる。
「黙って座っているだけで年に3億円、しかも無税だから遊んでばかりいる」
「偉そうにふんぞり返って威張っている、俺はご本尊は尊敬するが坊主は別だ」
「お寺に行くと腹立たしく、歩いていると気が晴れる」
「お寺で買わずに遍路用具店に客(特に団体)が行くと店に文句を言うそうだ」
「檀家付きの寺の跡継ぎほど、楽なものは無い」
「四国巡礼って素晴らしいシステムだ、黙っていても人が来てお金を落とす」などなど。何回も歩いて四国を回っている方が言うのだから、根拠の無い話ばかりではないようだ。
私達は初めてだから良く判らないが、これまでの僅かな経験からも?と首を傾げる事は何度かあった。
結局はその人の人柄・人物だろうと思う。
私達一般人はいわゆる良寛様のようなお坊さんを良いお坊さんと言うが、宗教家達にはどのような人が良いお坊さんなのだろうか?
四国を歩きながら、こんな面も観察して行きたいと思った。
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