ヒマラヤ紀行 Part7

 

ヒマラヤを歩いて、思った事

 

ヒマラヤ

 


 

 

縁あってヒマラヤを一ヶ月も放浪する機会に恵まれた。
さして勉強もぜず、ぶっつけ本番で望んだネパール・ヒマラヤの山旅であった。

でもその間、色々感じ考えさせられた山旅でもあった。
その内、特に印象的だった事を幾つか述べておきたい。

 

 

惚れ直したぞ!

夢にまで見たヒマラヤの山々は、確かに凛として美しく、それはそれは素晴らしいものであった。
世界中から多くの人達がそれを見にわざわざやってくるのも頷けた。

その山旅を終えての正直な感想と言えば、

「ヒマラヤの山は荘厳で美しい、だがそれは眺める山々だった。
 私にとっては触る事の出来ない、遠い存在の山なのだ。」

翻って、日本の山々はスケールこそヒマラヤに比較すれば小さいけれど、そこには清冽な水が流れ、変幻自在に漂う雲があり、緑豊かな森もあり、風情、季節に溢れる山々だ。
その上、私でも自由に触る事が出来る親しみ深い山々だ。

どちらが好きかと問われれば、私は躊躇無く後者を選ぶ。
山に受け入れられ、その中にどっぷり浸かり、安らかで気持ちの良い時間を過ごすのが、好きなのだ。
ミス・ユニバース級の美女がたむろする部屋に入れられオロオロ気を詰まらせながら盗み見しているより、顔見知りのお姉ちゃん達と遠慮無く冗談を言い合えるような関係の方が気が楽なのだ。

ヒマラヤに行って、日本の山を、北海道の山を惚れ直した。
本当に好きなのは、素敵なのは日本の山々だったのだと、心底分かった思いがする。

機会があれば、またヒマラヤを見に行ってはみたい。
でも体が動く限り、大好きな日本の山で遊び続けたい、強くそう思った。

大雪
大雪の山々

 

貧しさと幸せ

ネパールへ来て、トレッキングをして強く感じる事がある。
「幸せって何だろう?」 である。

ネパールの人の暮らしは見る限り、日本と比べれば一様に貧しい。
でもナムチェバザールでもディンボチェでも貧しいけれど、明るく生きているように見えた。
決して人に媚びたりせず、少ない仕事を大勢で分け合い、助け合い、何とか食べて行けるレベルを維持しているようだ。
子供達も明るくのびのびと親の仕事を手伝い、家畜や小さな子供の面倒を見ている。

自転車すら無くすべてを人力で行わざるを得ない山村では、人々が協力し助け合わなければ生きていけない側面もあり、かつての日本の村もそうであったように、それがうまく機能しているのかも知れない。

それに引き換え、カトマンズなどの町では資本主義、商業主義が幅を利かせ、富める者はより富み、貧しい者はいよいよ貧しさに沈んでいるようにも感じられた。
地方では見られない、乞食や物乞い、ホームレスの姿が目につく。

資本主義と言うのは最低限の生活が保障されて成り立つものなのかも知れないと思った。
ネパールのように最低生活が保障されないまま、資本主義が導入されるとその果実の甘さより弊害がより表に現れるのかも知れない。
そこへ共産主義などの誘惑が入り込む余地が生まれるのではないか。
チベットしかり、ネパールでもマオイスト達が勢力を拡大していると聞く。

世界各国から勿論日本からも膨大なお金が貧しい国々の支援に提供されているが、本来の目的である被支援国の国力を上げる、人々の最低限の生活保障をするという観点から援助がなされているのかC'Kが必要だろう。
一部の人を富ませるものであっては何の意味も無く、援助をしない方がましなのだ。

貧しくとも、幸せを感じてもらうには、何をどうすれば良いのか考えてみたい。そう思った。

パカラの日の出
ポカラの日の出

 

世界の若者

ヒマラヤを歩いて一番感じるのが、世界中から本当に多くの人達が集まって来ている事だ。
それだけヒマラヤの魅力が大きいと言う証拠でもあるのだろう。

その中の80〜90%は西欧人である。圧倒的に多い。
そしてその中でも若者の数の多さに驚く。
単独で、若者だけのグループで、明るく元気に歩いている。
多くが貧乏旅行であるらしくガイド一人、ポーターも雇わずに山のような荷物を背負って歩いているグループも多い。
活動的だし、ロッジの食堂などでも誰とでも気軽に話し、情報のやり取りをしている。

働き方、休暇の取り方、若者の旅行を奨励する社会のありようなどが日本とは決定的に違うのかも知れない。

私はこのような若者の行動を実に好ましいと感じた。
若い感受性の豊かな時期に自国とは違う世界の国々、人々と接する事はその人の人生に大きな影響を与えるだろう。
まさに「百聞は一見にしかず」である。

日本の若者達も、このような経験を是非してほしい。
そして若者達が世界に気軽に出られるような社会システムを私たち大人が応援して作り上げてやらねばならないと強く感じた。

日本の若者、頑張れ!

マチャプチャレ
マチャプチャレの夜明け

 

保守か、革新か?

政治の話ではない。
ヒマラヤ・トレックを楽しむ方法の話である。

かつてロッジなども整備されていない、いわゆる秘境探検の趣が強かった時代、探究心旺盛な西欧の人たちが作り上げたのが、探検家をサポートしつつ好奇心や自尊心を満たしながら歩く、キャラバン方式である。
アフリカなどでも概ね同様の行動様式が整えられた。

今回私が歩いたのもこの方式で、荷物はすべてポーターやヤクが運んでくれる。
食事もコック達がご主人の好みを中心に、フルコースに近い栄養も量も十分すぎるものを毎回提供してくれる。
そして経験豊かなガイドが道案内をする。
極めて快適なトレッキングが約束される形態なのである。
その代わり、十分なサービスを提供するため、昼食は何処で、休憩はあすこでと細部まで計画されるので、急に計画変更をと思っても対応は難しい。
事前の調整が必要なのである。

それに引き換え、最近特に若者の間で流行っているのが、最小限の人数で気軽に手早くトレックしようとする形態。
ガイドとポーター一人ずつ雇い、その日その日のスケジュールを決めながら歩くというもの。
中には、ガイドも雇わず自分たちだけでと言うグループも居るようだ。
荷物など苦労をいとわず、自分たちの好きなように歩く。そんなスタイルだ。

伝統のやり方にも良い所は沢山ある。
事実、私自身伝統のやり方に十分満足し、大いに楽しんだ。

ロッジも整備され、環境も変わりだしている。
どちらが自分の要求に合致し、満足するか良く研究して決める事が大切だと思う。
行ってから、あちらが良かったと不満を漏らしても何もならないのだから・・・。

ちなみに再び機会があってヒマラヤを歩けるなら、私はガイドを一人連れて気ままに自由に歩ける形態を選びたいと思う。
時代の趨勢もその方向に進んでいるように感じたし・・・。

紋別岳

 

 

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